高崎を担う三本柱  JC・青経・TSK

(2018年08月3日)

青経:林 司理事長  JC:田島 圭次郎理事長  TSK:長井 昭雄会長

高崎商工会議所には青年部がない。聞くところによると、青年部がない商工会議所は全国でも数が少ないそうだ。高崎商工会議所に青年部がなくても、あまり不自然に感じないのではないだろうか。なぜなら、高崎のためにがんばっている青年団体の姿を日頃から目にしており、彼らの情熱が高崎を創ってきたことを皆が知っているからだ。

本稿では、高崎青年会議所、高崎青年経営者協議会、高崎市青年商業者研究会の青年3団体を通じ、まちづくりの若き担い手の姿を特集する。

 

ゼロからイチをつくる力
公益社団法人高崎青年会議所

田島 圭次郎理事長(ビジネスホテル寿々屋社長)

 

真剣な取り組みが成長と発展に

高崎青年会議所(以下高崎JC)は昭和26年9月に設立した。日本国内で695の青年会議所が活動しているなか、高崎JCの設立は33番目であり、全国でも歴史あるJCとして知られている。

現在、高崎JCの会員数は127人で県内JCでは最大級、全国的にも100人を超えるJC組織は規模が大きく、全国の青年会議所メンバーが集まって運営する日本青年会議所へ役員を派遣したり、全国大会を招致したりできる規模でもあるらしい。一方、高崎JCから日本JCへの役員出向は過去に数例ある程度で、「高崎のためになにができるか、突き詰めて考えてきた歴史のなかで、特に地元愛の強い青年会議所になってきたのではないか」と田島圭次郎理事長は言う。

 

高崎JCは、毎年実施の事業として、サケの稚魚放流、森とオーケストラ(群馬交響楽団の野外コンサート)、高崎まつり、市民討議会を抱え、こうした事業を含めて12に及ぶ委員会が常時活動している。

 

高崎JC理事長は、毎年1月の改選とともに所信を示すことになっており、田島理事長が掲げたスローガンは「温故創新〜変わらないために変わり続ける」。こうした修辞的な言葉の組み立ても、高崎JCらしさである。

 

各委員会は、理事長所信を踏まえて年間事業を企画立案、予算化、実施することになっている。各委員長が理事会でプレゼンテーションを行い、事業企画を通すのだが、これがかなり叩かれて大変らしい。この時の経験は、会員各々の企業経営にも役立てており、新規事業の立ち上げや事業計画書作成などにも応用され、高崎商工会議所を訪れる会員企業の中には、「JCの時に鍛えられましたから」と企画書づくりや国のヒヤリングを堂々と乗り切り、職員も目を見張ることがある。

 

「企画は丸くしないで、尖っていきたいと考えています。JC活動では、誰に何を伝えたいのか、どう変わってほしいのか、求める結果を得るためにどのような工夫をするのか、を突き詰めていきます。真剣にまちづくりに向き合い行動するからこそ、自己の成長も得られ、本当の仲間ができる。それがJC3信条、奉仕・修練・友情です」と田島理事長は語る。この経験をJC時代の十数年にわたって積み重ねていくことで、人間的に成長し、組織や経営を学ぶことにつながっていると田島理事長は考えている。

 

高崎JCのメンバーは業種も異なり、様々な立場の若者が集まってくるので、考え方や見方の違いを知ることも大きな糧になるそうだ。高崎の発展と会員の成長が一体的にはかられている。

 

高崎のために汗を流した青年の系譜

高崎青年会議所は、昭和30年代には群馬音楽センター建設を主唱し、群馬交響楽団を応援してきた。その活動が「森とオーケストラ」に継承されている。また、現在の「高崎まつり」に直接つながる夏まつり「高崎ふるさとまつり」、音楽のまち高崎の大イベント「高崎マーチングフェスティバル」に高崎JCが取り組み、実行委員会に移行させた。

 

また高崎まつりの食のイベントとして始まった「キングオブパスタ」も、第2回は高崎JCの事業として実施され、第3回から実行委員会主催に移行している。

 

こうした事業は、高崎JCが基礎を作って、実行委員会組織に運営を渡してきたことに意義があり、高崎まつりや高崎マーチングフェスティバルは大きな広がりをつくり、高崎JC自身もまちづくり活動の自由度を維持してくることができた。

 

生み出すためにもがき続ける

群馬音楽センター建設、高崎まつり、高崎マーチングフェスティバルなど高崎JCの先輩が残した足跡は余りに偉大であり、田島理事長は「今の高崎に生きている私たちが次代に何を残せるか」とプレッシャーを感じることもあるそうだ。「ゼロからイチを生み出すために、もがいてきたのが高崎JCではないか」と田島理事長は言う。高崎JCは、これからももがき続けるのだろう。

 

人口減少社会へのアプローチは高崎JCとして継続して取り組んでおり、本年は交流人口と定住人口の間を意味する新しい概念「関係人口の増加」を提唱している。「関係人口は、これから大事な考え方になると思います。時代の先を走るのも青年の役割」と田島理事長は笑顔を見せる。

 

高崎のものづくりの風土をつくる
高崎青年経営者協議会

林 司理事長(株式会社林製作所社長)

 

人づくりのビジネス塾

昭和32年4月11日、市内製造業の若手による青年経営者座談会が開かれ、高崎市に対し、積極的な産業施策を要望した。この日、「市内中小企業の団結と発展」を目的に高崎青年経営者協議会(以下青経)が発足し、中小企業に対する技術振興などを市に求めた。昭和46年に工業クラブが結成され、43歳で卒業する青経OBメンバーの受け皿となった。

 

「青経は人づくりを大事にしています。先輩から後輩にビジネスを教えてもらう勉強の場です」と林司理事長は言う。礼儀やマナーには特にうるさいこともあった。「どちらかと言えば青経は体育会系かもしれません。細かいことまで指摘されることもありました」。振り返ってみると、言われたことが実際のビジネスでとても役立っている。「青経で経験したことが生きています。私も先輩に言われたことを後輩に教えていきたいです」と林理事長は話す。

 

「青経の中なら恥をかいてもいいじゃないか」と言われたことを林理事長は覚えている。取引先に礼を失すれば、仕事を失うこともある。苦言の裏側には、先輩から後輩へのあたたかい気持ちが込もっていた。

 

本気で取り組み、本気で支え合う

現在、青経の会員は54人。構成は製造業が7割、建築業が3割となっているそうだ。

「高崎は企業城下町でなく、会員各社が独自に販路を開拓し、力をつけて成長してきた。交通の便の良さも高崎の地力の強さにつながっている」と林理事長は考えている。

 

高崎は大企業の城下町ではないことが幸いし、同じ加工分野の会員が仕事の競合関係になることが少ないので、技術的に助け合って切磋琢磨できるのも青経の強みだ。

 

林理事長は、今年度の活動テーマに『「つながる力、つなげる力」でものづくりの未来と新たな価値を創造し発信しよう』を掲げた。「つながる・つなげる」は、ものづくりのハード、IoTのネットワーク、人と人、人と地域の絆など、様々な広がりを持っている。

 

青経は会員同士のつながりが深く、「青経を利用して、会員や会員企業が成長できる」と林理事長は考えている。膝を突き合わせて議論しあうこともある。「本気で取り組み、本気で支え合うのが青経の仲間です」と林理事長は言う。

 

青経は会員同士で業務連携できるのが大きなメリットで、会員が自社ビジネスに生かせるだけでなく、青経の連携は高崎のものづくりの大きな力になっている。

 

高崎市も次代の担い手として青経の活躍に期待を寄せており、海外ものづくりフェアの主役は青経のメンバーだ。「会員の経験が高まるので積極的に参加していきたい。高崎市にも会員の実情を理解していただいているのでありがたい」と話す。

 

今秋は「たかさき産業祭」が開催され、青経はブース設営や模擬店の運営なども担当する予定だ。林理事長は、高崎の子どもたちにものづくりの楽しさを知ってほしいと考えており、青経はものづくり体験のブースも出展する計画だ。林理事長は「楽しみながら親睦を深めていきたい」と話している。

 

これから活躍するための修行の期間
高崎市青年商業者研究会(TSK)

長井 昭雄会長(長井住宅工業株式会社社長)

 

中心商店街の活性化が原点

TSKは、中心市街地の活性化を目的に、高崎春まつり、高崎まつり、縁日広場、えびす講市に関わり、主催イベントとして秋の「キッズ広場・ゴム動力自動車コンテスト」を開催している。イベントの準備、実施だけでも大変そうだが、更に月々の例会が、講師例会、視察研修、家族例会など毎月2回を目安に開催されている。「設営する側の視点で見ることで、視野が広がり課題も見えてくる」と長井会長は語る。TSK活動によって成長でき、経験をビジネスにも生かしていけるという。

 

昭和33年にTSKは設立され、会員企業の業種が幅広くなったため、これまで会の名称が何度か変更されている。当初は中心商店街の小売業の若手経営者有志が集い、商業関係の勉強会と意見交換を目的に発足した。発足から昭和62年まで「高崎市商店青年経営者研究会」(略称TSK)、昭和63年から正式名称をアルファベットのTSKにし、かっこ書きで日本語を記す「TSK(高崎市青年商業者研究会)」、平成8年から、正式名称「高崎市青年商業者研究会」、略称(TSK)とし、今日に至っている。

 

ゴム動力自動車コンテストを充実拡大

高崎市は、高崎アリーナの開館などによって、スポーツの全国大会、国際大会が頻繁に開催されるようになった。TSKが毎年開催している「TSKキッズ広場・ゴム動力自動車コンテスト」も世界大会をめざしてほしいと高崎市の富岡賢治市長から要望されているそうで、TSKでは世界大会の開催を展望に入れ、今年のゴム動力自動車コンテストは事業の拡大をはかっている。

 

ゴム動力自動車コンテストは、近年、県内工業高校や技術専門校など若者の参加が増えており、ものづくりに取り組む若者たちの気概を感じさせるイベントになってきている。車両の製作費用の補助なども含め、「TSK会員やOB、高崎市の職員などの知恵を借り、参加者の広がりをつくっていきたい」と考えている。

 

当初から、ゴム動力自動車コンテストには同じ青年諸団体のみなさんが参加しており、「TSKにとっては本当にうれしい。これからも末永くお願いします」と長井会長は喜びの表情で青経にエールを送っている。

 

60周年の節目に若手を育てたい

TSKは今年創立60周年を迎え、記念式典が6月20日にホテルグランビュー高崎で行われた。長井会長は「TSKの輝かしい歴史と伝統を次の世代につなげていきたい。高崎市の産業振興と地域の発展に貢献していきたい」と決意を述べた。60周年記念式典では「JCや青経の皆さんの応援を肌で感じた。高崎のまちづくりの仲間として、いっしょにがんばっていきたい」と語る。

 

TSKの会員は現在55人で、過去には会員数が25人ほどになってしまった時期もあったという。長井会長は60周年を契機に会員拡大に力を入れ、若手を育ていきたいと考えている。「TSKは、これから活躍する人材としての修行の期間。経験を積んで、高崎の発展に貢献していきたい」と話している。OB組織の活性化にも取り組んでいきたいと考えている。

 

高崎まつりに捧げる情熱

「全力でやる(JC)」「徹底的にやる(青経)」「仲間の絆(TSK)」

高崎まつりは、高崎青年会議所、高崎青年経営者協議会、高崎市青年商業者研究会(TSK)、高崎水道工事業協同組合の若手「水青会」、高崎電気工事協同組合青年部「紫電会」、在日本朝鮮青年商工会(KYC)の青年6団体が大きな支えになっている。

 

現在の高崎まつりは、高崎JCの活動がルーツになっている。

 

戦後、高崎のまつりは、市制施行の周年事業として開催されてきた。昭和50年、高崎市制75周年で山車が出される予定だったが、「オイルショックでそれどころではない」と山車を出すような記念事業は行わないことになってしまった。

 

ちょうどその年、高崎青年会議所は、市民の祭りとして郷土芸能と山車の巡行を中心にした祭りに取り組んだ。高崎まつりの原点は、人を集める観光や商業イベントではなく、高崎市民の郷土愛と誇りにあった。行政支援のない中で祭りを成功させるために若者が奔走した。町内や企業から寄付を募り、参加をよびかけるのは大変な苦労だったという。そして夏祭りとして「高崎ふるさとまつり」が誕生し、第11回目から「高崎まつり」に名称が変更され、今年は第44回を迎える。

 

高崎JCは、高崎まつり創始団体として責任を果たすべく、高崎まつり実施本部長を輩出するとともに最も多くの部門を担当する。「高崎まつりは青年6団体が作り上げてきた。高崎まつりを楽しみにしている市民のため、高崎JCはメンバー一丸となって全力で取り組んでいる」と田島理事長は意気込みを見せている。

 

青経はだるま神輿やもてなし広場の企画などを担当する。「高崎最大のイベント高崎まつりを成功させることの充実感、達成感は大きい。青経らしく徹底的にやるからこそ、おもしろい。本当のお祭り騒ぎを見せていきたい」と林理事長の熱意を語る。

 

TSKは高崎まつりの呼び物「大花火大会」を担当する。打ち上げ内容の検討、観覧席の設営、観客の誘導や避難、警備など、楽しい高崎まつりとするために、安全の確保が最優先となる。今年は障害者用の観覧スペースも設け、長井会長は高崎まつりを大成功させたいと考えている。「大変だがやりがいがある。TSKの仲間、青年6団体の仲間、市民との絆のために、今年もやりぬきたい」と語る。

 

誌上座談会

理事長に聞く「入会してよかったですか?」

■TSK・長井会長=私は15年前に当時のTSKの会長と仕事を通じて知り合い、入会を勧められました。その頃はくじら森のイベントで有名な地元の東部商工振興会の青年部でも活動し、地域にも貢献したいと考えていました。私が26歳で、TSKの中で一番年下だったので、とてもかわいがってもらいました。

■JC・田島理事長=父・五郎が2010年春に他界し、東京から高崎に戻りました。当時、レストラン部門の萬嵐が屋台村に出店しており、父に代わって店に出たのですが、屋台村の運営メンバーが私のことを心配し、面倒を見てくれた。その時の屋台村メンバーが高崎JCの会員でした。高崎に戻ってみて、父が高崎のまちでどのような役割をしてきたのか、あらためて知ることができました。「五郎さんに世話になったから」と言って、JCの人やOB、まちの人たちが食べに来て、心配してくれました。とてもうれしかったです。

■青経・林理事長=私も東京や大阪で音楽関連の仕事に従事した後、高崎に戻ってきました。どちらかというと、ものづくりよりもビジネスに関心がありました。同業の組合の会合で先輩に誘われて入会しました。青経に入って仕事の姿勢や考えも変わり、経営の大変さ、おもしろさを学びました。

私も田島さんと同じような経験があって、私を育ててくれた青経の先輩方も、若い時は私の父たちに面倒を見てもらったと話してくれました。それを知って、高崎のものづくりが青経のつながりによってできてきたのだと感動しました。

■田島=父は、若者に高崎のまちの将来を考え、まちを動かしてほしいと考えていたんです。屋台村で父とJCの思いが重なり合っていたんです。私もこのまちで生きている痕跡を残していきたい、まちを支えていく一人になりたいと思っています。高崎の今に、青年が少しでも役立っていきたい。

■林=人と人がつながり、教えられて、教えて、高め合って、それを私たち青年団体は60年間積み重ねてきた。次の世代へ、次の世代へと思いをつないできたんです。

■長井=若いメンバーに入会してもらい、育てるのが、どの団体にとっても大きなテーマです。TSKは創立60周年の年ですから会員を60人にしたい。自分がTSKで活動した何かを残せるとすれば、将来の人材を残していくことが一番大事な仕事です。TSKの活動や高崎まつりで出会った青年団体の皆さんとは、TSKを卒業しても一生のつきあいになると思います。

■林=顔と顔を突き合わせていく仲間って本当に大事ですね。

■田島=青年団体は卒業という終わりがあるのがいいんだと思う。自分がどういう40歳になるのか、卒業する先輩たちが良いお手本になります。

■林=青経はOBの工業クラブがあって、高崎のものづくりは青経と工業クラブが支えていると自負しています。

■長井=TSKも、OBの方から困ったら何でも相談してほしいと言われているので、先輩の力を借りていきたい。

■林=JCとTSKと青経は、それぞれの活動がうまくバランスがとれてるなって思います。みんなが高崎のことを本気で考え、高崎の今の盛り上がりの中で、うまくつながっています。

■長井=高崎の仲間同士って実感しています。

■田島=青年団体の活動は自分が成長するためでもあるけれど、高崎のため、という大きな幹があります。

■田島・林・長井=高崎のために力を合わせていきましょう。

 

公益社団法人 高崎青年会議所

入会年齢:入会時に20歳以上35歳以下。在籍は40歳以下。

〒370-0006 高崎市問屋町2丁目7-8  高崎商工会議所ビル405号

TEL:027-361-7604   FAX:027-362-9578

http://takasaki-jc.com/

高崎青年経営者協議会

入会年齢:20歳から43歳

〒370-8501 高崎市高松町35-1  高崎市役所商工振興課内

TEL:027-321-1256   FAX:027-325-4879

https://takasaki-seikei.com/

高崎市青年商業者研究会

入会年齢:43歳以下

〒370-8501 高崎市高松町35-1  高崎市役所商工振興課内

TEL:027-321-1256   FAX:027-325-4879

https://tsk1958.net/

 

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