高崎新風土記「私の心の風景」

橋の風景から⑱ ―梅の郷大橋―

吉永哲郎

高崎新風土記「私の心の風景」

 「うめのさとおおはし」は平成13年3月に完成した橋で、橋上から榛名山に向かって、箕郷梅林の風景が眺望できますので、満開時の人気スポットの一つです。以前は眼下に広がる梅林の細道を散策しながら、花の下で腰をおろし、風にのってくる花の香りを肴に、ビールを口にし、ちょっとした雅な野の遊びを楽しむことができました。
 平安時代の中ごろまで「はな」といえば、ウメでした。梅は縄文。弥生・古墳時代の遺跡から出土していませんので、日本自生のものがなく、平城京跡や長屋王邸宅跡から大量の梅の種が発見されていることから、奈良時代に中国から伝来したのではないか、と考えられています。萬葉集には119首あり、数の上ではハギの141首に次いで詠まれています。特徴的なことは、梅の歌は「梅花の宴」に詠まれた歌が42首あります。これは中国六朝時代に開かれた王義之主催の梅花の宴の影響であるといわれ、それに倣い大宰府の長官であった大伴旅人が、私邸に官人を招いて観梅の宴を開きました。その席上で詠んだ歌42首が、萬葉集に記載されているのです。東国の歌が収録されている万葉巻14の東歌には、梅の歌はありません。万葉時代、梅は中国詩の教養をもつ都人によってのみ詠まれていたのです。
 さて、橋上から少々気取った雅びの人となり、足元から聞こえる鶯を耳に、梅林風景を一句、芭蕉の気分でいかが。