高崎新風土記「私の心の風景」

橋の風景から33 ―中乗橋―

吉永哲郎

高崎新風土記「私の心の風景」

 中豊岡町と乗附町とを結ぶ、碓氷川に架かる木製の橋です。国道18号線からは土手に上がらないと見えませんので、橋の存在を知る人は少ないと思われますが、地域の人たちにとっては、生活道路として欠かせない木橋です。それまで碓氷川を渡るには下流の八千代橋か上流の鼻高橋しかなく、架橋後は回り道が解消されたようです。利用者は地域の人だけでなく、今はマラソンやサイクリング、バードウォッチングなどで渡る人の姿も見かけます。車は通行禁止、8本の橋脚の上に橋げたが架かっています。増水時に流されることを前提にしていることがわかります。
 橋上に立ちますと、私は室町時代の連歌師飯尾宗祇の姿を思います。当時の人々は宗祇を「都より商人(あまびと)宗祇下りけり言の葉召せと言はぬばかりに」(古典<源氏物語>を商品として「古典はいかが」と国々をまわっている宗祇よ)と狂歌に詠んでいました。弟子の宗長の紀行文「東路の津登・宗祇終焉記」に信濃国で倒れ、養生のため草津・伊香保への途中、浜川に20日程逗留、その後80余歳の病身宗祇は箱根へと旅します。この時代、浜川から中豊岡、碓氷川を渡る、右岸山沿いの古道(平井城、沿道には多くの寺院があった)を、弟子に介護されて、宗祇は箱根を目指したのではと、私は考えています。橋に佇むと、宗祇を見送る気持ちが、心に湧き上がります。

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