高崎のたたずまい 1

倉賀野宿の往時を今に 大山邸

 倉賀野宿は中山道十二番目の宿場であり、例幣使街道との追分の宿場町として大変賑わった―。この町の歴史をリュック姿の健脚達が訪ねる風景は、今やこの町の日常のひとこまである。
 高崎方面から倉賀野町へ向かうと大型スーパーが連なり、まだ若い松並木が続く。両脇に古民家が点在する街道を進むと、閻魔堂の手前に、たかさき都市景観大賞にもなった「大山邸」の黒い板塀と門、母屋、蔵、松の木が見えてくる。
 大山邸は昭和九年、陸軍特別大演習が開催される際、中山道の拡幅工事が行われ建て替えられた。現当主の大山碩也さん(大山小児科医院長・六十八歳)によると、前の家とほぼ同じ大きさの家だったという。当時のお金で二千五百円。建具や木材は一部、今も健在である。当時の農家は一階が居宅で二階は養蚕部屋であったが、大山家は二階も居宅とし養蚕専用の建物があった。家畜を飼っていたため竈(へっつい)の周囲には常にハエが飛んでいて、地域で「ハエとりコンクール」が催されたほどだった。手動のポンプで井戸水を汲み上げるのは子どもの仕事で、時折、タンクの中に落ちるのか、ミミズが水道から出た。「土間の掃除や雨戸の開閉、家畜の餌やり、農作業の手伝いと忙しかった。家族旅行などできなかったが、暮れの餅つきは楽しかった」。
 子どもの頃、魚やザリガニを釣った用水路は今、暗渠となった。「水辺の風景や多様な生物との出会いは心を豊かにする。水辺を遊び場に開放できないか―」孫たちに自然を取り戻したいと大山さんは願っている。
 この春、息子さん家族との同居が決まり、久しぶりに母屋で寝起きすることに。「開放感があるこの部屋で庭を眺めて過ごすのは気持ちがいい。息子たちにも使い続けてほしい」と話す。まちを行き来する人たちも、このたたずまいが末永く残ってほしいと望んでいる。

大山邸
高崎市倉賀野町2044の1