私のブックレビュー8

『新しい道徳 「いいことをすると気持ちがいい」のはなぜか』

志尾睦子

北野武著
幻冬舎
            
自分の頭で考えることが出来ているか?

 9月に出版されて以来、読書ランキングの首位を独走しているというので読んでみました。道徳と聞いてパッと思い浮かぶのは小学校時代の「道徳の時間」。時間割の中で週に一度だけある、教科書もなければテストもない、先生の裁量で毎回やることが変わってくる私にとっては楽しみな時間でした。教育テレビを見る日もあれば、本を読む日もあれば、外で活動をする日もありましたが、その共通項は「感じる」「考える」時間だったと記憶しています。

 学校のカリキュラムに組み入れられている道徳が、国語や算数のような「教科」ではなく、「時間」だった事はわかっていたのだけれど、2018年に道徳が教科化されると聞いて初めて、あれ? と思った私のような人は少なくないのではないでしょうか。教科ということは、教科書があり、なんらかの形で学習効果を評価される場面が出てくるはずで、はて、道徳って評価ができるものなのか、そもそもなんだろうか、と考えた時に本書が出てきたというわけです。

 北野武さんの物言いはさまざまなメディアで周知の通りですが、文章になるとより一層明朗快活。今回もとてもわかりやすい言葉でユーモラスに、道徳とはいかなるものか、という自論を展開されています。

 論理と論理をきっちり組み合わせて進歩してきた数学はツッコみようがないと挙げ、その対局にあるのが道徳だと位置づけます。ツッコめるということは異論を立てられるということ。さまざまなものの見方、価値観を次から次へと提示していくのですが、道徳を語りながら時に歴史を辿り、時代の変化を指摘し、今の世の中を分析していきます。フランクな語り口でエッセイ風のため、軽く読み進められてしまうのですが、もう少し文章表現を堅苦しく整えれば、立派な学術書にでもなりそうなものです。それだけ一読する価値はある気がしますが、その理由は書かれている内容を納得することにはありません。

 北野武さんが言いたかったのは、もとい、編集者が北野氏に筆を取らせた目的は、「自分の頭で考える」その工程と、コツだったのではないかと思うのです。見聞きしたことに一度、あれ、そうなのかなというツッコみを入れてみる。入れた情報を自分の頭で撹拌して、「考えて」情報を「知識」にする。改めて考えることの面白さを実感しました。

 まさしく、久方に「道徳の時間」を受けた気分になりました。

志尾 睦子(しお むつこ)
群馬県立女子大学在学中にボランティアスタッフとして高崎映画祭の活動に参加。群馬県内初のミニシアター「シネマテークたかさき」の総支配人を務めると同時に、日本を代表する映画祭である高崎映画祭総合プロデューサーとして活躍。

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