銀幕から生まれた昭和の映画女優1

女優とは類まれな資質がなくてはなり得ないもの -岸 惠子-

志尾 睦子

 凛として、清楚、品格があり、まとう空気が華やかでゆったりとしている。岸惠子さんはそんな女性だった。第30回高崎映画祭で高崎にお招きできた事は私の一生涯の宝になった。女優とは、俳優とも役者とも違う、特別な役割を持った職業であると思っていたけれど、類まれな資質がなくてはなり得ないものなんだと、岸惠子さんにお会いしてそう実感した。
 映画デビューは1951年の『我が家は楽し』。貧しいながらも慎ましく明るく生きる植村家の次女・信子を演じた。父を笠智衆さん、母を山田五十鈴さん、長女を高峰秀子さんが演じ、岸惠子さんはコーラスに明け暮れる女学生の次女・信子を演じた。映画スターに囲まれての、端役とは言えない大抜擢のデビュー。実は一本だけという約束での出演だったそうだ。
 映画の撮影に興味を持った岸さんは、知り合いのつてで松竹の撮影所に遊びに行くようになり、そこで声をかけられたという。その当時、岸さんは大学受験を控えた現役高校生。一本だけの約束は、瞬く間に数十本へと姿を変えた。2年後にはすでに二十作品以上に出演し、1953年に発表された『君の名は』(大庭秀雄監督)で松竹映画スターとしての地位を確立する。
 「君の名は」「真知子巻き」「岸惠子」の三点セットは、1975年生まれで、二十歳を過ぎるまで映画のえの字も知らなかった私でさえ、小学生時分には知っていたのだから、どれだけの影響力を持っていたかがうかがえる。
 1955年に高崎で撮影された『ここに泉あり』は、大スター岸惠子を一目見ようと、宿泊地となった豊田屋旅館は連日黒山の人だかりだったという。先日お越しになられたとき、六十年ぶりに豊田屋さんへ足を踏み入れた岸さんは、あまりに忙しく大変だった日々を回想されたようだった。
 数々の名作、傑作、代表作がある中で、『ここに泉あり』と双璧に私が好きな映画が『おとうと』(1960年/市川崑監督)である。弟を可愛がり甲斐甲斐しく世話を焼く姉・げんのひたむきさと愛情深さに引き込まれた。病に倒れた弟を必死に看病するクライマックスに涙し、ただただ弟を思う「姉」がスクリーンに刻まれた圧巻のラストシーンに身震いがした。その役を演じることを超えた何かがそこには映っていたからだ。何度見ても、その衝撃が衰えることはない。
 高崎映画祭三十年目の春。日本を代表する映画女優が群馬音楽センターの壇上に立った。一瞬にして舞台が華やぎ、会場がどよめきに包まれた。それを私は一生忘れないだろう。

志尾 睦子(しお むつこ)
群馬県立女子大学在学中にボランティアスタッフとして高崎映画祭の活動に参加。群馬県内初のミニシアター「シネマテークたかさき」の総支配人を務めると同時に、日本を代表する映画祭である高崎映画祭総合プロデューサーとして活躍。

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