銀幕から生まれた昭和の映画女優2

美学を持ち、芸に生きる女優 -富司 純子-

志尾 睦子

 厳しさと包容力を兼ね備え、美しく誇り高い梨園の妻。和装姿でお客様を迎える富司純子さんを見かければ、こうした言葉がしっくりくる。日本を代表する名女優の日常は、きっと彼女の美学に則って進められているに違いなく、それはきめ細かな配慮と筋のとおった道理なのではないだろうか。富司純子さんにはそんなイメージがつきまとう。あんなに美しいのに、美的な魅力だけに注目される人とは違う気がする。生き方や生活がいつも富司さんの周辺では見え隠れするのだ。
 18歳の頃、父親が勤める東映京都撮影所に出向いた際にマキノ雅弘監督に見出され、藤純子(ふじ じゅんこ)として『八洲遊侠伝 男の盃』でデビュー。当時、任侠モノ路線を推し進めていた東映で、その一時代を築いたのが藤さんの父親である俊藤浩滋プロデューサーだった。娘がその後の東映を支える看板女優になるとは思ってもみなかったようだが、藤純子初主演映画となった『緋牡丹博徒』は大ヒットを博し、全8作のシリーズ化に至った。押しも押されもせぬ東映映画スターになった訳だが、そのわずか5年後にこの東映スター藤純子はいなくなる。
 1972年、4代目尾上菊之助(現・7代目尾上菊五郎)との結婚を機に引退を決めた藤さん。東映の社運を揺るがす一大事だったのは想像に難くないが、ご本人の潔さが周囲を圧倒したのだろう。『関東緋桜一家』は、藤純子引退記念映画の冠で製作・公開された。どれだけ人望を集め、惜しまれ、そして愛を持って送り出されたかがわかる。一女優のために大手の映画会社が引退映画を企画製作するなんて、今ならあり得ないことだ。
 そうして華々しく映画界を後にした彼女は、その2年後に「3時のあなた」の司会者・寺島純子(てらしま じゅんこ)となり、お茶の間の人気者となった。その後テレビドラマの出演を経て、1989年に映画女優として復帰。富司純子(ふじ すみこ)として新しい道を、きっとこの方は意欲的に嬉々として歩みだしたに違いない。生きる道ごとの名前が、その意気込みをのぞかせるというものだ。どんな役柄からも、豊かで厚みのある女優・富司純子の人生が透けてくる。
 昨年NHKドラマ「紅雲町珈琲屋こよみ」で主人公お草さんを演じたのが記憶に新しいが、悲しい過去も自分の糧とし、前向きに人生を紡いでくカッコよく素敵なおばあちゃんは当たり役だった。テレビドラマもいいのだけれど、やっぱり銀幕で、お草さんを観て見たいと思うのは私だけではないはず。

志尾 睦子(しお むつこ)
群馬県立女子大学在学中にボランティアスタッフとして高崎映画祭の活動に参加。群馬県内初のミニシアター「シネマテークたかさき」の総支配人を務めると同時に、日本を代表する映画祭である高崎映画祭総合プロデューサーとして活躍。

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