138.橋の風景から24

―昭和大橋―

吉永哲郎

 利根川をはさんで群馬は二分されていると、私は考えています。それは大利根の流れによって、古代から現代にいたるまで、左岸右岸の交流の歴史を思うからです。身近な例として近代の鉄道路線敷設で一番の難点は、この川に鉄橋を架けることだったことが挙げられます。まして、一般庶民が生活空間の広がりを求める時代になると、重要ライフラインとして、この川に橋を架けることの必要性は増してきました。
 高崎と前橋の境界に架かる昭和大橋は、まさにこうした時代の流れの中で、竣工されました。橋の中央分離帯に渡し舟をかたどった石碑に、橋の名と共に高崎側は「萩原の渡し」、前橋側は「公田の渡し」とそれぞれ刻されていますが、この橋が架かる1992年まで、橋下に「渡し」があったことを記したものです。江戸時代の記録には渡しのあたりに川幅は約180メートル、水深約9メートルあり、激流のため棹が使えず、両岸から網を張り、手繰って渡ったといわれます。
 萩原町には新潟と江戸をつなぐ三国古道の道筋が、利根川沿いに残っています。倉賀野・高崎を通る三国街道が表街道になってから、佐渡金山奉行や流人などの人目を避ける人々が通る裏街道として、利用されました。さて昭和大橋は、正月の実業団駅伝大会の第二区(外国人登録可能区間)にあたり、毎年TV放映されています。この橋には、人々の川を渡ることへ思いを感じます。

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