150.橋の風景から36

―江木橋―

吉永哲郎

 富岡製糸場が世界文化遺産に登録されてから、明治以後のいわゆる近代化遺産に関心をもつようになりました。なかでも近代の経済流通発展を支えたのは道路と鉄道敷設です。特に道路の拡充に伴い、橋の架設はかかせない課題となりました。県内では利根川を渡る橋は、これまでの渡し・土橋から、重量車両が通れる本格的な架橋建設は急務だったようです。
 江戸時代高崎城下には城外へ七口の出口がありました。伊勢崎方面(日光・奥州へ)の出口は、羅漢町口(ジャンボン道)と通町口の二つがあり、二つの道は現在の城東小学校南の諏訪神社のあたりで一つになりました。江木橋は1922(大正11)年にこの伊勢崎街道に架けられた橋です。伊勢崎街道は昭和初年に拡張された八間道路から東へ通じる道です。先のジャンボン道は火葬場への道のことで、現在の市営火葬場ができるまで、幟(のぼり)を先頭にした野辺送りの葬列が通った道です。高崎から東への物流が盛んになるにつれ交通量が増え、関連の道路整備が急がれました。長野堰を跨ぐ本格的な永久橋として、江木橋は建設されました。こうした地方の近代化を支えたのが江木橋で、群馬の近代化遺産として意味を持っているのですが、それに気付く人は少なくなりました。なお橋の南、公民館のあるところが無縁堂跡、五万石騒動犠牲者碑や水戸浪士猿田忠夫墓があります。

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