159.「高崎唱歌」

散歩風景③

吉永哲郎

 「高崎唱歌」第3番は「市(まち)の南のはづれなる 下和田町に龍見町 次なる町は鎌倉町 往古鎌倉街道よ」です。明治33年(1900)の「高崎案内」に竜見町のことを「此町に旧藩士の居宅多く、商家は至って尠し。城郭の東南に当たるを以て、斯くは名号(なづ)けしものなりと言ふ」とあります。
 腰の軽くなった武士は、多くは官吏か軍人、警察官になり、龍見町は軍人役人勤め人の町となりました。旧藩士宅の名残は、からたちや樫の木、山茶花等の生垣、樹木の繁る静かな住宅地に、感じられました。
 現在はその名残はほとんど見いだせませんが、町内の道がたがいちがいに交差し、四辻がないのが名残の一つとなっています。太平洋戦争当時の物価統制下の配給制度によって、配給所を兼ねた酒屋さんができるまで、町内に商店はありませんでした。ほとんどの家では御用聞きによって、まかなわれていました。今の竜見町の風景からは想像できないと思います。
 「往古の鎌倉街道」は、現在町の西端(眼下は元大音寺河原といった烏川風景、今は城南球場が見えます)の崖上沿いのからたちがある細道がところどころに残っています。なおこの崖上一帯は、古代の弥生人が住んでいたところで、此の地から土器や住居址など発掘され、出土の土器は「竜見町土器」と命名されています。さまざまな歴史の流れと、その時に生きた人の姿を、竜見町で思い馳せます。

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