160. 「高崎唱歌」

散歩風景④

吉永哲郎

 「高崎唱歌」第4番は「若松町に光明寺 夢に名を得し愛染堂 豊川稲荷は龍光寺 坂を下りて藤花園」です。光明寺は龍光寺の北裏、高崎公園の東の細い道に沿っていきます。
 「愛染さま」の呼称で、六算除けでお参りする人の姿が今も見られるとききます。「愛染堂」は本堂南隣の護摩堂にあり、安政の大地震で家業が衰えた江戸下谷坂本町の商人市野谷善次郎が光明寺の地蔵尊を夢にみて、当時大破していた地蔵堂を再建請願したところ、家業復活したといわれます。この地蔵木像は元禄9年境内の茂みから発掘されたという伝承があります。光明寺墓地には内村鑑三建立の内村家の墓があります。光明寺境内の豊川稲荷は、明治初め頃の毎月22日の縁日は、芸妓達が奉納した大幟や球幟が境内を埋め、太太神楽がある程の参詣人で賑わっていたと伝えられています。龍光寺墓地には村上鬼城やロシヤ兵士などの墓があります。現在、藤花園の面影はありませんが、通称「藤だな・馬場の藤」といわれ、高崎藩士で教養人菅谷帰雲の門人馬場若水の家があったところ。聖石橋交差点にあった旧ガソリンスタンドの裏の低地です。藤の花が咲く頃になると、付近に茶店がでて、ゆで卵・団子・ところ天などを食しながらの花見客があふれたと、古老の昔語りで耳にしたことがあります。
 今日の散歩道は、関係のご町内の人でないと親しみが湧かないところですが、縁日や藤棚の復活があったらと、道すがら思いました。

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