古典花木散歩
15・うめ③
吉永哲郎
光源氏は零落の姫君末摘花の異様な赤鼻を、紅梅の紅色から連想する思いを、梅の高く伸びた枝はなつかしいものなのに、その花の赤さはわけもなくいやなものだ。と前回の歌に詠んでいます。光源氏が未摘花の醜い鼻をからかっている歌ですが、二人の出逢いの恋物語が、春が訪れるうららかな季節に始まります。
この表現に恋と季節を結び付ける紫式部のすぐれた感性を思います。常陸宮の姫君とはいえ、零落した王家の窮乏に堪えてきた姫君にとって、光源氏との出会いは衰えた王家の復活を思わせます。その過程を酷寒から春霞と紅梅の咲く春として、紫式部は描いているのです。もう一例、源氏物語の紅梅を紹介しましょう。薫君と匂宮の板挟みになった浮舟が、入水しそこねて、横川(よがわ)の僧都(そうず)らに教われ小野の山里で出家し、はじめて春を迎える時の場面です。
聞(ねや)のつま近く紅梅の色も香も変らぬを、春は昔のと、こと花よりもこれに心寄せのあるは、飽かざりし匂ひのしみけるにや。
浮舟は匂宮とのことを忘れ去ろうとしているのに、「飽かざり匂ひ」(匂宮の匂い)がしみついている。紅梅は忘れ難い恋人を意味するとすれば、さて、あなたにとって今年の紅梅は・・・。
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