石碑之路 散歩風景12

吉永哲郎

 空に大きな弧を描く虹には、何か予感めいたものを感じます。こうした詩的空間を詠んだ虹の歌は、万葉集には一首あるのみです。「伊香保ろのやさかのゐでにたつぬじのあらはろまでのさねをさねてば」の東歌です。根小屋城址との分岐点の手前、揮毫者深井雙葉の高さ106cm、横73cmの歌碑。


 初めての解説版には「にくいあなたと一緒なら、たとえ浮名がたとうとも、いやというほどねてみたい」と若い時の解釈で、当時民謡風の訳はありませんので、訪れた人から「不謹慎だ」の声が聞かれたようです。今は「伊香保のやさかの堤に立つ虹のように、人目につくほどあなたと寝られさえすれば、ままよ、悔いることはない」と訳しています。


 一般に、雨上がりの伊香保の山並みに架かる夕虹の光景を、山麓に住む人が詠んだとしていますが、日本人が虹を詠むようになったのは平安時代末で、それ以前は虹を詠みませんでした。古代人は太陽の光によって孕むという貴人誕生神話のように、天と地が契りをかわし生まれたのが虹で、穢れ多いものと感じ、蛇と結び付けて考えました。虹は美しいものでなく、汚れ、不吉な予兆として捉える外来思想の影響です。


 「ゐで」は灌漑用の大きな堰堤をいい、高崎の井出の三ツ寺遺跡から発見された先進技術で建てられた「王の館」の関連施設を思わせます。
付近一帯は渡来系豪族が住み、人々は早くから外来文化に接していたと思われます。歌の背景には若者の新文化創造(虹の美しさ)への心意気を感じます。にわか雨です。虹が・・・。

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