平成時代の高崎(2)

(2019年03月30日)

高崎駅西口の再開発
シンフォニーロード工事
高崎市役所新庁舎工事
東三条通り拡幅工事

都市基盤整備と中心市街地の変貌

高崎駅東西が一変

上越新幹線開業による高崎駅舎の建て替えは、高崎のまちなみを大きく変貌させた。高崎駅舎は新ターミナルビルとして昭和57年2月に完成、3月1日に開業、駅ビルも4月14日にオープンした。

なお上越新幹線は、昭和57年11月15日に大宮・新潟間、昭和60年3月に大宮・上野間、平成3年6月に東京まで開通した。

高崎駅東口は、新幹線利用者が増加し、群馬の玄関口としてビジネス集積が進んだ。高崎駅東口周辺整備では、昭和57年11月に東口広場が完成した。昭和59年に高崎イーストセンタービル、平成元年に高崎イーストタワー、平成6年1月14日にツインシティ、平成10年に高崎タワー21が建設された。

平成20年7月、高崎駅東口にヤマダ電機本社が移転し、LABI1高崎が開店、東口ペデストリアンデッキの設置が進んだ。

高崎駅西口では再開発事業が昭和59年から始められ、群馬県内初のペデストリアンデッキが平成2年7月に完成した。西口広場は段階的に整備され、平成4年に広場面積9,400㎡を整備、八島町出身の彫刻家・分部順治制作のモニュメントが設置された。

西口周辺では平成元年に井上山種ビル、平成2年にウェストワンビル、ラ・メルセなどが建設された。

 

シンフォニーロードの開通とシティホール一期工事

シンフォニーロードは昭和62年に着工し、平成6年2月に開通した。当初はシンボルロードと呼ばれたが、群馬交響楽団にちなみ、音楽のまちにふさわしい愛称としてシンフォニーロードと名付けられた。都市景観のために、道路の歩道下に、電線、電話線、上下水道、ガス管などを収容する共同溝が群馬県で初めて設置された。

高崎市内に展示ホールがなかったことから、市内の芸術家らによってギャラリー建設運動が長きにわたって続けられてきた。平成2年に要望がまとめられ、平成6年7月に高崎シティギャラリーが開館した。旧高崎市役所庁舎ロビーの壁に山口薫が描いた大作「朝昼晩」が同館に移設された。

 

二期工事で市役所新庁舎

昭和29年に建設された市庁舎が老朽化し、手狭となり、新庁舎建設の必要性が高まったことから、昭和61年に市庁舎建設委員会、翌年に建設準備室が設置された。庁舎は雨漏りなどもひどく、屋上を通らないと部署間の移動ができないなど、不便きわまりなかった。

当時の沼賀健次市長の発案で当初は高崎城を模したデザインも出ていた。新庁舎はシティホール二期工事として事業化された。平成5年に新庁舎模型を作成・展示し、平成7年に着工、平成10年2月に定礎式、同年5月に移転し、6日に開庁した。新庁舎が開庁したのは、ついこのあいだのような気がするが、既に20年が経過しているのである。

 

「いつも工事中」で商店街の危機

高崎駅の東西整備、シンフォニーロードと高崎シティギャラリー・高崎市役所新庁舎の建設などと同時に、昭和50年代後半から平成にかけて、高崎駅西口周辺から城址地区の区画整理や再開発事業が同時進行した。

そのため、高崎のまちはいつも工事中だった。区画整理が完成すれば商店街も生まれ変わるとわかっていても、長期化する工事により客離れの危機感が募った。郊外大型店の進出もあって、まちなかの通行量減少が問題となり、道路拡幅により歩行者の動きが変化した。

東二条通りは一方通行の裏通りから、4車線道路へ拡幅された。平成2年に高崎市美術館からワシントンホテルまでが4車線化されて完成。さらに国道354号と交わる弓町交差点までの840mメートルを計画区間として4車線化と街区整備が行われ、平成22年(2010)に概ね完了した。弓町交差点も、伊勢崎街道の開かずの踏切のアンダーパスによって拡幅された。

東二条通りでは商店街組織のチームハナハナストリートが立ち上がり、通りの活性化に取り組んでいる。この街区では、平成26年(2014)の高崎ビブレが閉店し解体、平成29年に高崎オーパが開店するなど、新しいファッションストリートとして注目されている。

 

高崎商工会議所『商工たかさき』2019年2月号

 

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