史跡箕輪城跡の本丸西虎口門を復元
(2026年04月14日)
史跡箕輪城跡の本丸西虎口門が完成し、4月4日に完成記念式典が行われた。
本丸には北虎口門、南虎口門、西虎口門の3カ所の門があり、復元された本丸西虎口門は高さ約4m、幅2・94mで3つの門の中で最大幅となっている。
本丸西虎口門は、本丸から蔵屋敷に渡る木橋に続いており、2003(平成15)の発掘調査で門の礎石や石垣、排水遺構(石組暗渠)などに関わる遺構が見つかり、各地に現存している近世初頭の城門や絵図などを参考に門の構造を推定した。
式典で富岡賢治市長は「箕輪城の本丸復元につながる資料を、現地まで行って井伊氏や武田氏の資料を調査したが見つからなかった。箕輪城跡は箕郷の観光スポットになり、門の復元をきっかけに多くの人が訪れてくれることを期待しています」とあいさつした。
箕輪小児童代表が「この門が100年後も、200年後も私たちのまちを見守ってくれるように次の世代に大切に引き継いでいきます」と記念メッセージを唱和した。
テープカットの後、児童らが門を開き、参加者の渡り初めが行われた。
【本丸西虎口門の復元整備】
本丸西虎口門の復元整備は令和3年度から7年度の5か年わたって行われた。
発掘調査により、2本の鏡柱(本柱)と2本の控え柱で支え、開いた門を覆う屋根を持つ高麗門の構造で、門の両側は石垣となっている。石垣には自然石とともに中世の石塔(五輪塔)を転用して築かれていたことがわかった。石垣の復元には石材と変わらない質感となるGRC(ガラス繊維補強セメント)で作られた複製品も使用された。
南側の石垣脇には石組み暗渠があり、本丸内に溜まった雨水などを堀に排水する機能を備えていた。
礎石や排水溝、石垣、石畳などが作られた後、井伊時代(16世紀末)に石畳に土をかぶせるなどの改修をしたことが確認された。
瓦が出土しなかったため、屋根は板葺きと推定された。
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