箕輪城跡の新曲輪が追加指定に

(2018年06月21日)

史跡箕輪城跡(南東から空撮)
赤の囲みが追加指定地

国指定史跡

群馬県の戦国時代を代表する城跡、国史跡箕輪城跡について、新曲輪(しんくるわ)の1万8562㎡が国史跡として追加される見通しとなった。国の文化審議会が15日に答申した。

 

箕輪城跡は昭和62年に箕郷町東明屋地内の18万9134㎡が国指定史跡に指定されており、今回の追加指定で、指定面積は20万7699㎡となる。

 

高崎市によれば、箕輪城は、西暦1500年頃に長野氏によって築城され、長野氏の本拠となった、武田信玄の侵攻に対し、長野氏は箕輪城を拠点に抗戦したが、永禄9年(1566)に落城した。その後、武田氏、織田氏、北条氏、徳川氏の城と使われ、最後の城主井伊直政は徳川家臣最高禄の12万石を与えられた。慶長3年(1598)に廃城となった。高崎の歴史と深く関わる史跡であり、日本百名城の一つとして城郭ファンを集めている。

 

追加指定地の新曲輪は、土塁に囲まれた曲輪が良好に保存されており。新曲輪と呼ばれることから、箕輪城の後半の時代に整備され、家臣団の屋敷跡が広がっていたと考えられる。箕輪城の北東側の防御拠点で、高崎市教委は城の変遷過程を検討する上でも重要な箇所としている。

 

箕輪城跡では、郭馬出西虎口門が復元されるなど保存整備が進められており、富岡賢治市長は「箕輪城跡の追加指定は保存整備の充実に力を与えるもので喜ばしい」とコメントしている。

 

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