長野堰が「世界かんがい施設遺産」国内候補に

(2016年05月18日)


高崎に深く関わる用水路

 「国際かんがい排水委員会(略称ICID)日本国内委員会)」は、「世界かんがい施設遺産」候補施設として、高崎市の長野堰など7施設をICID本部へ申請することを、18日に決定したことを農林水産省のホームページで発表した。
 発表によれば、「世界かんがい施設遺産」は、かんがいの歴史・発展を明らかにし、理解を図り、かんがい施設の適切な保全に資するために、歴史的に価値が認められるかんがい施設を、「国際かんがい排水委員会(ICID・本部:ニューデリー)」が認定・登録する制度。平成26年に創設された。
 登録により、かんがい施設の持続的な活用・保全方法の蓄積、研究者・一般市民への教育機会の提供などに加え、かんがい施設を核とした地域づくりに活用することも期待される。
 同遺産は、国内に13施設あり、群馬県内では、平成26年に甘楽町の雄川堰(おがわぜき)が登録されている。
 世界かんがい施設遺産への登録は、今年11月にタイ王国チェンマイ市で開催されるICID 国際執行理事会において発表される予定。
 長野堰の同遺産登録は、長野堰土地改良区が申請を行った。長野堰を語り継ぐ会の中島宏会長は、国内候補に選ばれた知らせを受け「市民に長野堰の価値を深く知ってほしい」と喜びを語っている。語り継ぐ会では、6月にシティギャラリーで長野堰と高崎の歴史をひもとく展覧会を開催する予定で、今回の国内候補決定は、市民に関心を持ってもらう大きなきっかけになるものと開催に向け意欲を燃やしている。
 
【国内候補】
1. 照井堰用水(てるいぜきようすい)(岩手県一関市、平泉町)
2. 安積疏水(あさかそすい)(福島県郡山市、猪苗代町)
3. 長野堰用水(ながのせきようすい)(群馬県高崎市)
4. 足羽川用水(あすわがわようすい)(福井県福井市)
5. 明治用水(めいじようすい)(愛知県安城市、岡崎市、豊田市、知立市、刈谷市、高浜市、碧南市、西尾市)
6. 満濃池(まんのういけ)(香川県まんのう町)
7. 幸野溝・百太郎溝水路群(こうのみぞ・ひゃくたろうみぞすいろぐん)(熊本県水上村、湯前町、多良木町、錦町)
 
■高崎を発展させた長野堰
●高崎城下と領内を潤す16kmの水路
 長野堰は、高崎の中心市街地の北を流れる用水路で、井野川と烏川にはさまれた河川のない地域を潤す。武田信玄の侵攻を防ぎ戦国武将として有名な箕輪城主・長野業政が16世紀初めに開削したことから名付けられたという。伝説によれば、平安時代に業政の先祖、上野国守・長野康業が開いた用水で、千年の歴史を持つとも言われている。江戸時代は、西新波堰(にしあらなみぜき)、大川(おおかわ)と呼ばれた。
 長野堰は、榛名山のすそ野、箕輪城にも近い高崎市本郷町で烏川から取水し、田園地帯から市街地へ至る用水で、岩鼻町で再び烏川に合流する。
 水路の延長工事は慶長3年(1598)に箕輪から高崎へ城を移した初代高崎城主・井伊直政が進めた。水路事業は、歴代城主によって引き継がれ、現在の水筋が整えられた。総延長16km、高崎藩領のほぼ全域に及び、約1700ヘクタールを潤した。現在でも取水口は壮観で、豊かな水量が流れている。
 長野堰の水は高崎城下を潤し、お堀や城下町の用水に使われた。領内の新田開発が進むと水量が足りなくなった。元禄時代の城主・大河内右京大夫輝貞公は、長野堰の改良に熱心で、榛名山にトンネルを掘って、榛名湖から水を引く計画に着手したが吾妻郡側から猛反対され、幕府の判断で工事は中止になった。榛名湖南の摺臼岩(するすいわ)下には、掘りかけのトンネルが残っている。明治37年、榛名湖からの長野堰への取水工事が実現された。
 
●高崎の染めと深く関わる長野堰
 井伊直政は箕輪城から高崎城へ城下町も移し、高崎城下に染職人の紺屋の町も誕生した。西上州一帯から集まる高崎絹の染めは、長野堰と城下に引いた支流の水を利用した。旧市の北部には、戦後に至るまで長野堰に沿って多くの染工場があり、染物の洗い場が長野堰に張り出していた。護岸は石積みで長野堰の友禅流しは、昭和20年代まで盛んに見られた。
 長野堰の水利権をめぐり、日照りになると水争いが起こり、時には凄惨な事態もあった。長野堰の支流には「地獄堰」と名付けられた用水があり、水争いの激しさを伝える。水利の問題は、明治以降も続き、昭和37年に平等に水を分ける「円筒分水」が高崎市立城東小学校の近くに作られた。サイフォンの原理で水が湧き上がる円筒分水は全国でも珍しい施設で、水の流れは美しく、農林水産省の「疏水100選」に選ばれている。

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