たかさき町知るべ
東町(あずまちょう)
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文字どおり市街地の東に位置している町で、北から東は江木町、西は鉄道を挟んで旭町、南は栄町、東は岩押町となっている。
この町のあたり一帯は、もとは赤坂村の一部で、字中冲といわれていた。昭和一〇年、町が成立した時には、高崎市の東端に位置していた。町名は西隣の「旭町」と同じように、市の東方の地の意味である。
明治二年(一八六九)高崎藩領内で年貢減免を訴える「五万石騒動」がおこった。これに参加した農民の代表で斬首刑になった佐藤三喜蔵、高井喜三郎、小島文次郎の三総代、牢死者、入牢者を祀る「五万石義人慰霊堂」と、水戸藩攘夷派天狗党の猿田忠夫とその従者の墓がある。猿田忠夫は、藤田東湖*とうこ*、武田耕雲斎(こううんさい)らに先立ち、軍資金を集め、高崎城下に入ろうとしたところを幕府役人に捕えられ、鞘町にあった石上寺に幽閉された後、幕命によって斬首刑に処せられた人である。
このあたり一帯は、昭和に入るまでは小口の製糸工場と東京電力の変電所、大正一五年(一九ニ六)に建設された市営住宅のあるほかは水田が広がっているところであった。
昭和二年、群馬郡塚沢村が高崎市に編入になると、市が駅東側の開発を手がけはじめ、東三条通りができ、江木から東町にかけて、理研コンツェルンの諸工場が、軍需工場として誘致された。
地名としての「東(あずま)」については、勢多、群馬(現前橋市)、佐波、利根、吾妻の各部に「東村」がある。これらはいずれも郡の中の東方に位置している村の意味から命名されたものである。
昭和五七年上越新幹線が運転されはじめると、この町一帯の再開発が進み、町は大きく様変わりしている。



