高崎アーカイブNo.23 たかさきの街をつくってきた企業

舘たばこ(江戸中期〜明治)

全国屈指のたばこの産地として知られた高崎

たばこの名産地の舘たばこ、光台寺たばこ、寄合町に「烟草横丁」

 徳川中期以降、禁煙令が解かれると全国各地でタバコの栽培が行なわれるようになり、比較的山間部までも貨幣経済に巻き込んでいくようになりました。
 高崎周辺では寺尾村の「舘たばこ」や山名村の「光台寺たばこ」が銘葉産地として知られていました。『高崎市史』によれば、治部右衛門がたばこを山一反五畝に栽培したと記されています。また儒学者の貝原篤信(後の益軒)は『木曽路之記』で、高崎の南に高い丘があって、その後の「舘」でたばこが栽培されていると記しています。また、江戸時代、田町の市にたばこを商う商人が店を出していたことから、田町から寄合町への東小路は「烟草横丁」と呼ばれていました。
 また、府県物産表によれば、熊谷県(当時群馬県を指す)の葉たばこの生産高は全国第二位を占めていて、高崎の業者としては、常磐町の清水国太郎、本町の茂木菊松、桑野重房、嘉多町の小倉兼吉、歌川町の清水伊平、住吉町の市川卯之吉、寄合町の藤木惣平、田町の青木勘之助、四ツ屋町の中村重蔵らがいました。

たばこの専売権を政府が掌握

 明治9年(1876)一月より煙草税則が施行され、たばこへの課税が行われることになりました。税則はその後も改正され、明治21年(1888)の改正では、営業税、営業鑑札については製造所一カ所毎に課税することを定めるとともに、製造業者の資格制限を設け、印紙税については定価の20%としました。
 日清戦争後、財政の膨張が不可避であったことから、政府は財政確保のため明治29年(1896)1月に葉煙草専売法を第九帝国議会に提出、約2年の準備期間をおいて、明治31年(1898)1月から実施され、葉たばこの専売権を政府が掌握することになりました。
 この一連の動きに対し、高崎の製造業者の宮原林一ほか54人は、産地の分布、運輸通信の便、関東内陸産業の中心に位置する高崎に倉庫並びに買収所の設置を要望する願書を提出しました。また、いち早く官業賛成の意見を表明し、葉たばこ取扱所の設置運動を展開し、高崎商業会議所も大蔵大臣に意見書を提出するなど積極的に支援しました。
 しかし、葉煙草専売所は、多野郡吉井町に設置され、高崎のたばこ耕作者及び製造業者は、その所轄のもとに置かれることになりました。刻みたばこを製造・販売する業者は「仕入証明書」「葉煙草売買免許証」の申請を必要としました。

製造煙草専売法の施行
たばこの自由販売は終わりに

 しかし、葉たばこだけを専売にして製造は自由という状態では、葉たばこの横流しや闇行為などが行われやすかったことから、製造もまた政府の手に掌握することによって不正行為を抑止することができるとともに、完全専業による税収入の増大を図ることができると、政府は考えるようになりました。明治37年(1904)に日露戦争の国家財政の窮乏を補うために、製造煙草専売法が成立し、民営たばこの製造は明治38年(1905)3月までとなりました。

高崎のたばこ生産者、製造者

明治30年代のたばこ製造業者

 高崎のたばこ業者は明治23年(1890)には249人いました。市制施行直前にはたばこ商93人、たばこ刻み職人53人がいたという記録があります。  製造人の平林新太郎、小倉兼吉、今井善蔵、中村重蔵、清水伊平は、いずれも経営規模の大きな工場に多数の職工を雇用し製造を行いました。
 労働時間は午前7時より午後5時まで、主に女子労働に依存していました。工場は刻み場、袋張り場、葉巻場、撰葉場、缶詰場に分かれ、作葉場内分業が行われていました。
 伝来の産業として葉たばこ生産に従事していた人々にとって政府による「産地の整理」は大きな打撃でした。たばこの収入が大きかった農家にとっては特に影響が大きく、そのうえ専業でないということから、生産者に対しては何らの転職資金もなく、他の作物の栽培に切り替えるにあたっても何らの補償も支払われませんでした。
 これに対し、たばこ製造業者はそのほとんどが専業者であるが故に、営業禁止による補償を受けられました。

たばこ産業の官営の歴史

 大正2年(1913)6月、多野郡吉井町から移転し、全国27か所に整理された専売支局の一つとして、高崎に専売局が設けられました。大正6年(1917)11月これまで八島町にあった製造工場(明治32年、高崎煙草製造所)が鶴見町に移りました。そして、大正10年(1921)には、全国21か所に改正され、高崎地方専売局と改称し、群馬・長野・新潟の各県および、埼玉・山形県の一部を管轄しました。
 昭和41年(1966)には宮原町の倉賀野工業団地へ移転。喫煙の規制強化や増税でたばこ需要が減少したため、平成15年(2003)9月12日に、日本たばこ産業(JT)は高崎工場を平成17年度3月末で操業を停止し、ここに官営たばこの一世紀にわたる歴史を閉じることになりました。

※参考資料/『高崎の産業と経済の歴史』高崎経済大学附属産業研究所編、『高崎市史 通史編4』
※写真資料/明治30年代のたばこ製造業者(清水正道氏蔵)