電気館への熱い思いが結実

柳川町と日本映画の歴史を継承する場
地域活性化センターがオープン

 柳川町の旧映画館「高崎電気館」が、まちなかの文化発信拠点「地域活性化センター」として10月3日に開館した。電気館の建物は往時のままに古きよき昭和の香りを漂わせており、まさに時を経てよみがえったと言える。

「商工たかさき」 2014/10号より

●奇跡的と言える電気館の復活

 まちに残る古い建物には地域の歴史や人々の思い出が詰まっており、保存活用し後世に伝えたいという話は、全国どこにでもある。しかし実際に調べると、朽ちてしまっていたり、取得や修繕、維持に大きな費用を要したりするなど、保存されるのは稀で、多くは解体されてしまう。高崎電気館の復活は奇跡的な出来事と言える。
 高崎電気館は、今から約100年前、大正2年(1913)の1月1日、花街・柳川町に開館した高崎で初めての映画館。現在の建物は昭和41年(1966)に建築された。高崎電気館は平成13年(2001)に閉館したが、所有者の広瀬公子さんが亡夫・正和さんの思いを継いで、我が子のように大切に管理し、昨年度高崎市に寄贈した。
 電気館に対する広瀬さんの愛情は深く、建物が良い状態で保たれてきた。高崎のまちなかを見直す動きが数年前から盛んになり、電気館の内部を見学させてもらうこともあったようで、映画のロケにも使われた。建物内を見た人は保存状態の良さに驚き「電気館を復活させよう」という声も上がった。

●「二日限りの復活祭」が常設施設に

 昨年の9月、電気館の復活を願う市民の声と「もう一度スクリーンに映画を映したい」という広瀬さんの思いが高崎音楽祭でかたちになり、高崎映画祭の協力で「電気館復活祭」が二日間にわたって開催された。外壁に設置した「ここに泉あり」の手描き大看板も好評で、実際に映画を上映するのは、閉館後初めてとなった。
 復活祭では電気館2階のトイレが使えないことなどから2階のメインホールは使わず、1階の小ホールに映写機を持ち込んで上映会が行われた。映写室に置かれた重厚な2台の映写機は、来場者を驚かせたが修理を要し、大スクリーンを灯すには至らなかった。
 富岡市長は「電気館は、市民が大事にしてきた思い出深い場所であり、このまま使われないのは残念だと思う」と話していたが、その数カ月後、所有者の広瀬さんは、土地と建物を高崎市に寄贈することを決めた。広瀬さんは「このままのかたちで活用してほしい」と電気館に対する愛情を高崎市に託した。


●夢をかなえた高崎らしいまちづくり

 富岡市長が電気館に心を寄せていたこともあるが、高崎市が、庶民文化・サブカルチャーとして市民の思い出がしみ込んだ古い映画館に価値を認め、広瀬さんの電気館に対する気持ちを尊重して受け取った意義は大きかった。建物を耐震化し補修することは技術的に可能であったとしても、ハコの中身が大切だ。映画館として再開させるには映画の専門スタッフが不可欠となるが、高崎には高崎映画祭があった。これまでの経緯を含め、高崎であったから、ここまでたどり着いたと言える。
 1階は、まちなかの活性化に役立つ市民の活動拠点で会議室や展示室、2階は電気館の上映施設と客席をそのまま生かした映画館になっている。地域活性化センター運営責任者に、地元柳川町で生まれ育った高崎青年会議所の相京恵さん、2階の映画館運営責任者はシネマテークたかさきを運営するNPO法人たかさきコミュニティシネマ代表で高崎映画祭総合ディレクターの志尾睦子さんが就任し、若手を中心とした運営で企画力を発揮してもらう。
 10月3日、4日はオープン記念イベントが行われ、群馬交響楽団の草創期を描いた映画「ここに泉あり」の上映などが行われた。富岡市長は「電気館を大切にしてほしいと広瀬さんから寄贈を受けました。昭和の香り、ありのままの電気館を残し、新しい文化の拠点、高崎のシンボルにしたい」とあいさつ。電気館を高崎市に寄贈した広瀬さんは「こうして電気館を再開させることが大きな夢でした。若い人たちにも電気館に関心を持ってほしいです」と喜びを語った。

●昭和の雰囲気が漂う散策スポット

 電気館の映写室では2台の映写機が使われていたが、修理に手を尽くして1台を復活させ、もう一台は往時のままに復元し、2階ロビーに展示された。1階の展示室では、昭和の高崎をテーマにした写真展が常設されている。2階の映画館では、これから月に1回程度、「ここに泉あり」や、高崎で撮影された映画などの上映が計画されている。
 開館時間は、午前10時から午後10時を予定し、建物内は自由に観覧することができるので、昭和の雰囲気を楽しみながら、まちなかの散策スポットとしても楽しめる。中央銀座や柳川町界隈と一体的な魅力づくりが期待できそうだ。

対談/高崎電気館への思い

地域活性化センター運営責任者
相京 恵さん(右)
映画館運営責任者
志尾 睦子さん(左)

相京:柳川町で生まれ育って、このあたりは遊び場でした。地域や高崎に恩返しをしたいという気持ちもありますし、電気館を愛してきた広瀬さんの思いも大切にしていきたいです。

志尾:広瀬さんの思いを私たちは共有していかなければいけない。広瀬さんに出会ってすっかりファンになりました。電気館を誇りにしてきたご主人への思いを感じます。昨年の復活祭で「再開はうれしいけれど1階では」と広瀬さんに言われました。やはり2階の映写機を動かさなければ電気館ではないと痛感しました。古い映写機に詳しい人を探して、無理だ、直せないと4回くらい言われましたが、その都度粘ってお願いして、なんとか動くようになってほっとしています。

相京:広瀬さんの映画への思いを強く感じます。電気館は市民に愛される場所、娯楽の場所、人が集まる場所でした。今、ここだからできることがあると思います。

志尾:去年の復活祭で市外から来た方に「次はいつやるの」と言われました。みなさん、この場所に対する思いがあり、ここに来たいんです。

相京:高崎のランドマークとしてとても大切な場所ですね。電気館に再び灯りがついて地域の方にも喜んでもらえていますし、柳川町の飲み屋街の人たちも、電気館が復活すると盛り上がっていました。電気館を懐かしんでくれる人にも、若者にも、家族連れにもぶらっと立ち寄ってもらえる場所にしていきたい。

志尾:誰でも来られる場所にしていきたいですよね。

相京:柳川町らしく、飲んだついでに寄ってもらうのもいいなと思って夜の10時まで開館させようと思ってます。

志尾:定期的に「ここに泉あり」を上映して市民の皆さんに見てもらえるようにします。

相京:広瀬さんに恥じない電気館にしていかないといけない。

志尾:全国的にも重要な事例になるでしょう。現実的には大変なこともいっぱいあるでしょうが、とてもありがたい使命だと思っています。

(商工たかさき・平成26年10月号)