世界一のソフトボールシティへ

国内外のアスリートが交流する都市づくり

 アジア無敗、世界でも圧倒的な強さの女子ソフトボール日本代表の主力が、高崎市に所在する実業団チームの選手たちであることは、市民の大きな誇りになっている。
 高崎にはスポーツでも大きな蓄積があることから、市は新体育館建設に加え、浜川運動公園を拡張し、日本を代表するソフトボールのホームタウンとして施設を充実させ、スポーツで高崎を国内外に発信する計画だ。この計画の発表後、ビックカメラ女子ソフトボール部の誕生、東京五輪でソフトボール復活が有力、しかも地方都市開催といった報道などがあり、新春の夢がふくらみそうだ。

「商工たかさき」 2015/1号より

●高崎自慢の「ソフトボール」

ビックカメラ高崎が高崎市役所で記者会見

 ルネサスエレクトロニクス高崎女子ソフトボール部は、昭和56年(1981)に日立高崎女子ソフトボール部として創部し宇津木妙子監督が就任、太陽誘電女子ソフトボール部は昭和59年(1984)に創部し、ともに日本女子ソフトボール1部リーグの強豪チームだ。
 2008年北京オリンピックで金メダルを獲得した女子ソフトボール選手の活躍は、国民を熱狂させた。「世界最速」の上野由岐子投手の力投は忘れることはできない。ソフトボールがオリンピック競技になった1996年のアトランタに続き、宇津木妙子監督が日本代表を率いた「宇津木ジャパン」のシドニーとアテネ、悲願の金メダルを獲得した北京。日の丸を背負った日本代表の主力は、ルネサスエレクトロニクス高崎と太陽誘電の選手達で、高崎市は宇津木ジャパンや北京オリンピックに出場した在高選手の凱旋パレードを行い、北京で金メダルを獲得した選手らに市民栄誉賞を贈っている。
 宇津木ジャパンの長距離砲として破壊力を発揮した山路典子、宇津木麗華両氏が、それぞれ太陽誘電、ルネサスの監督となり在高2チームを率いてきた。ソフトボールは、高崎の名を全国に響かせる高崎ブランドと言っても良いのではないだろうか。

●高崎市が橋渡し。ルネサスからビックカメラに

 昨年10月、ルネサスエレクトロニクス高崎の構造改革と女子ソフトボール部の活動継続のため、ビックカメラにチームを移管し、平成27年1月1日に「ビックカメラ女子ソフトボール高崎」が発足することが発表された。ビックカメラ女子ソフトボール高崎は、ルネサスエレクトロニクス高崎の全選手・スタッフをそのまま受け入れ、高崎市を拠点に活動が継続されることになった。チーム体制は、宇津木妙子シニアアドバイザー、宇津木麗華監督、岩渕有美コーチ、上野由岐子選手兼コーチ、選手20人(予定)となっている。
 このチーム移管を成功させたのは高崎市だった。ルネサス女子ソフトボール部の移管について相談を受けていた高崎市の富岡賢治市長は「市民の誇りとなっているルネサスソフトボール部が高崎市外に出ていってしまってはいけない。チームをそのまま引き受け、高崎市で活動を続けてもらえる企業を探そうとしても選択肢は限られていた。高崎市にゆかりの深いビックカメラにお願いしたところ、素早い判断をもらえた」と仲人の大役を務めた。
 シーズン終了に合わせ、11月18日にビックカメラ女子ソフトボール高崎の記者会見が高崎市役所で行われ、株式会社ビックカメラの宮嶋宏幸社長、湯本善之取締役常務執行役員(女子ソフトボール部部長)、宇津木麗華監督、上野由岐子選手兼コーチが会見、仲人役となった富岡市長も同席した。

●高崎からソフトボールを盛り上げる

 会見でビックカメラの宮嶋社長は「このチームは地元高崎のみならず日本の宝。高崎市を通じてお声掛けをいただき、歴史と伝統のあるチームを承継することになり、光栄であると同時に、その責任の重さも感じている。ビックカメラの発祥の地・高崎市と手を携え、このチームを盛り上げていく思いから、チーム名を『ビックカメラ女子ソフトボール高崎(略称:ビックカメラ高崎)』にさせていただいた」と抱負を述べた。
 ビックカメラは、昨年4月に陸上部を創部しており、宮嶋社長は「陸上部に続いて女子ソフトボール部を創部し、社内も活気づいている。また、お客様からも『よかった』と声をかけられ影響も大きいと感じている。スポーツを通じ、社会貢献していきたい」と意欲を見せている。
 宇津木監督は「みんなに愛される強いチームをしっかり作り、高崎市にも貢献しながらがんばりたい」、上野選手は「来シーズンも高崎で活動できることに感謝しています。今後も、子どもたちの目標となる選手、たくさんの方に応援していただけるチームとなり、ソフトボールを盛り上げていけるようがんばりたい」と意欲を見せた。
 富岡市長は「ルネサスエレクトロニクス高崎から『チームの受入先を探している』とのお話を聞いたときには驚いたが、このチームが高崎で活動を続けられ、太陽誘電とともに日本の2つのトップチームが高崎市民に親しまれており、高崎市もベストを尽くして応援したい」と喜びの表情を見せていた。

●「高崎で続けられることがうれしい」ジュニア育成にも力を入れる

宇津木麗華監督(ビックカメラ高崎)
山路典子監督(太陽誘電)

 ビックカメラへの移管が決まり、宇津木監督は、「ほっとしています。このうれしさを持ち続け、強いチームを作っていきたい」と笑顔で語った。また、社会貢献の取り組みとして、子どもたちの育成に力を入れ、「高崎に小学生のジュニアチームを創設したい」と考えを示した。同じ高崎市の太陽誘電、伊勢崎市のペヤングのソフトボール部との交流を深め「群馬の3チームが強くなり、高いレベルになって盛り上げていきたい」と話した。
 上野選手はルネサス高崎で14年間プレーをし「ソフトボールへの思いを新たにするきっかけになった。高崎は第二の故郷のような場所。夏は暑く、冬は空っ風が強いが、ソフトボールの環境としては大好きです。この地でソフトボールを続けられることがうれしい。子どもたちの目標となる選手であり続けたい」と高崎への思いを語った。
 高崎市は、浜川運動公園に整備するソフトボール場をビックカメラ女子ソフトボール高崎のホームグラウンドとして支援していく予定だ。浜川が完成するまでの間は、ルネサスエレクトロニクス高崎の施設を使用することがルネサスエレクトロニクスとビックカメラとの間で決まっている。

●「群馬をソフトボール王国に」

 ビックカメラ移管の知らせに、ライバル太陽誘電の山路監督も「ほっとしました。高崎のチームとして学べることがたくさんある」と安堵の表情を見せた。ルネサス、誘電は長きにわたって日本の頂点で戦い合ってきた。山路、宇津木両監督は、ともに宇津木ジャパンを支えた盟友でもある。2014年シーズンは、トヨタ自動車(愛知県豊田市)、ルネサスエレクトロニクス高崎、豊田自動織機(愛知県刈谷市)、太陽誘電が4強で、昨年から順位を上げて勝ち残った誘電は「今シーズン最もリーグを沸かせたチーム」と評された。
 日本リーグのトップ争いは熾烈で、山路監督は「上位に行かないとわからない厳しさがある。チームの技術差は少なく、メンタルで強いチームが勝つ。連戦で疲れた、しんどいでは勝てない。体力を強化し決勝で戦えるチームづくりを進めたい」と来シーズンも優勝争いの一角をめざす。山路監督は、昨年の国体で群馬チームを率いた。惜しくも決勝で神奈川に敗れ、連覇を逃した。国際大会との日程から、上野由岐子投手が国体メンバーから外されたが「群馬がソフトボール王国になるために、上野がいなくても勝たなければならなかった」と悔しさをにじませる。山路監督は日本代表の捕手として上野投手とバッテリーを組んできたが上野投手は「不世出の投手」と評している。

●子どもたちの憧れになれ

 山路監督が太陽誘電に入った頃は誘電最強の時代で、リーグ決勝はルネサス(当時は日立高崎)との上州対決となっていた。山路監督が太陽誘電を選んだのは、高校生の時の合同練習で「生き生きとプレーしている誘電の選手の姿に憧れたから」。  リーグ戦の試合後や自治体主催のスポーツ教室などで、子どもたちを対象としたソフトボール教室が開かれ、選手たちが子どもたちと触れ合う機会も持たれている。そうした子どもたちの中から、太陽誘電に入部する選手も出てきた。トップアスリートは常に子どもたちの目標であり、憧れだ。「そんなプレーで子どもたちはあなたに憧れるの」と山路監督は選手に檄を飛ばす。  なお、毎年城南球場で行われる伝統の上州対決は多くの観客を集めて盛り上がり、高崎市長が始球式で名投手ぶりを披露するのが習わしとなっている。

●浜川がソフトボールのシンボル拠点に

 高崎市は、浜川運動公園の拡張整備に平成27年1月から着手し、平成32年3月の約5年間で段階的に工事を進めていく予定だ。浜川運動公園は、現在19.2haで、既存施設は、浜川競技場(400m×8レーン)、弓道場、浜川プール(屋内温水プール・屋外プール)、浜川体育館(メインアリーナ=バスケット2面、サブアリーナ=バスケット1面)となっている。体育館南側は御布呂ケ池や広場があり、憩いの場となっている。
 拡張計画は、井野川をはさんだ北側の19.1haで、テニスコート(メインコート1面、一般コート20面)、ソフトボール場4面、サッカー場2面となっている。ソフトボール場の1面には観客席も設置する。拡張後は全体で37ヘクタールになり、およそ敷島公園と同じ面積だ。市は群馬県を代表するスポーツ施設になるように整備し、テニスコートのメインコートは、高崎市が誇る世界的テニスプレーヤーの清水善造選手のメモリアルコートに位置付け、国際大会の開催も視野に入れている。
 市では、テニスコートとソフトボール場の建設を先行させる考えで、ソフトボール場は、ビックカメラ高崎の拠点グラウンドになる予定だ。高崎が誇りとしているソフトボールのシンボル拠点となり、選手と市民との絆も一層深まることになるだろう。

●ソフトボール五輪復活を応援しよう

 五輪開催都市が実施種目を提案できることを盛り込んだIOCの決定を受け、2020年に開催される東京オリンピックの野球・ソフトボール復活に向け、これから国際的な折衝が本格化するだろうが、そのキーパーソンの一人が、日本ソフトボール界の重鎮、宇津木妙子さんだ。宇津木さんはISF(国際ソフトボール連盟)の副会長、日本ソフトボール協会常務理事を務める。北京五輪以降、復活を願うソフトボール選手達の思いは切実だったようだ。宇津木さんは「オリンピックを夢見る子どもたちに対しても、新たな目標が出来たと思っていますが、やっと、スタートラインに立てたというふうに受け止めています。正式な決定は、来年の7月に行われるIOC総会でのものとなるので、これからが本当の意味での勝負です」とコメントを発表した。
 宇津木妙子さんは、国内外でのソフトボールの普及発展を目的にNPO法人ソフトボールドリームを2011年に立ち上げ、高崎市内に事務局を置き、幅広く活動している。また、多忙の中、高崎市が進める高崎文化芸術センターと新体育館について、専門的な立場から助言を行うアドバイザーとして尽力している。
 宇津木麗華監督は「日本のソフトボールが『世界一』の実力を保ち続けていること、日本のソフトボールが健在であることを示すこと」が五輪復活に欠かせないと考えてきた。世界一の実力を持つ選手とソフトボールの世界的カリスマを擁する高崎を、世界一のソフトボールシティへ市民が誇りを持って育てていきたい。

(商工たかさき・平成27年1月号)