上野国分寺の伽藍配置に大発見

(2014年8月25日)

写真を拡大上野国分寺発掘現場の説明会
写真を拡大上野国分寺復元模型
写真を拡大※(説明会資料に加筆)

金堂の位置、復元よりも南の可能性

 群馬県教育委員会は、24日に史跡上野国分寺(高崎東国分寺町・引間町、前橋市元総社町)で、発掘調査の現地説明会を行い、これまで考えられてきた伽藍の配置が変わる可能性が出てきたと、大発見の様子を見学者に説明した。
 県教委は上野国分寺跡の整備に伴う発掘調査を平成24年度から行っており、5月から行われた今年度の調査では、中門と回廊の位置や規模が判明した。
 国分寺は奈良時代の天正13年(741)に聖武天皇が発した詔によって創建された寺院で、東西約220m、南北約235mの広さで、周囲は築垣(土塀)で囲まれていた。中央には金堂と高さ60・5mの七重塔が建てられており、七重塔は国分寺の塔としては最大級とされる。これまでの調査と史跡整備で、南大門と築垣、七重塔・金堂の基壇などが復元されている。
 県教委の説明によれば、平成24年度から行われている調査で、南大門の内側の中門が、これまで考えられていた位置よりも南側であることがわかった。さらに、今年度の調査では、中門から金堂につながる回廊の状況が発掘され、現在復元されている金堂基壇の40m南側で北面回廊の北西角の基礎部分が発見された。北面回廊は金堂につながっていると見られ、これまで、金堂と考えられてきた建物は、講堂だった可能性も出てきた。
 また、発掘された回廊は、複廊の構造で、国内最大級の七重塔などと合わせ、上野国分寺が格式の高い寺院であったことが考えれる。
 県教委では、今秋に金堂があったと想定される場所の発掘調査を行う。金堂が発見されれば、上野国分寺の全体像が新たに描かれることになる。
 説明会の参加者は、県教委の解説を熱心に聴講し、「金堂の基礎を見つけてほしいですね」と、これから行われる発掘調査の成果に期待を寄せていた。