EF55が鉄道博物館に殿堂入り

(2015年2月18日)

写真を拡大EF55「さよなら運転」

GW前に展示開始を予定

 昭和11年に製造され、JR高崎車両センターで保管されていたEF55型電気機関車が、さいたま市の鉄道博物館に展示されることになった。
 EF55は、ムーミンの愛称でファンに親しまれ、平成21年1月18日、信越本線高崎・横川間の臨時運転を最後に引退した。さよなら運転では、信越線沿線の撮影ポイントを大勢の鉄道ファンが埋め尽くし、電車に乗っている鉄道ファン「乗り鉄」と、沿線に詰めかけた写真撮影の鉄道ファン「撮り鉄」がお互いに手を振り合ってEF55に別れを惜しんだという。
 EF55は昭和11年(1936)に3輌だけ製造された流線型の電気機関車で、当時は各国で流線型が流行していた。
 製造当初は、東海道本線で花形列車の特急「つばめ」「富士」などを牽引したが、特異な軸配置のため、常に流線型側を先頭にして走行させねばならず、そのため、SLと同様、終着駅で機関車の方向転換を必要とした。在来線の最高速度95km/h程度では、流線型の効果が出ないこともわかり、ただ手間がかかるだけの機関車となってしまった。
 戦争中を生き抜いてきた機関車で、現存するこの一号機の運転席の内側には、戦争中に受けた機銃掃射の跡が残っているという。外側は修理されており、内部からでないと見えない。
 戦後の昭和27年(1952)に、3輌ともに高崎第二機関区(当時)に転属となり、高崎線で使用されるようになったが、使い難い機関車であったことから、昭和37年に3号機が廃車、昭和39年に2号機が廃車解体、1号機は中央鉄道学園の教習車として第二の人生を送ることになり、昭和53年に準鉄道記念物の指定を受けた。
 EF55は、第二の故郷、高崎第二機関区に戻り、機関区有志によって整備されイベントでファンを集めた。昭和61年に大宮工場(大宮総合車両センター)で動態復元され、平成21年以降は高崎車両センターで保管された。EF55が去った後も、高崎第二機関区に転車台が残っており、その転車台を必要とする唯一の電気機関車EF55が、解体されずに高崎に戻ってきたという運命的な経緯を持つ。
 鉄道博物館の発表によれば、EF55の展示場所は、鉄道博物館本館1階のヒストリーゾーンで、展示エリア中央の転車台上への展示も検討されており、今年のゴールデンウィーク前に展示開始を予定している。