第1期はビスケット製造が主力/森永製菓高崎工場を起工

(2010年4月30日)

第1期はビスケット製造が主力/森永製菓高崎工場を起工

第1期はビスケット製造が主力/森永製菓高崎工場を起工

 4月28日、高崎市宮原町で、森永製菓株式会社高崎工場の起工式が行われた。新工場建設費は、約70億円超。新工場の計画生産額は年間約500億円。敷地総面積は17万8000平方メートル。

 建設用地(宮原町)は、キリンビール高崎工場跡地で、平成19年にキリンホールディングス(東京都中央区)から森永製菓に売却された。森永新工場の進出は、高崎の産業活性化に大きな影響を与えるものと動向が注目されていた。

 当日は、小雨が降っていたが起工式が始まるころには雨があがり、薄日がさした。進雄神社宮司により、祝詞奏上が行われた。森永製菓株式会社の矢田雅之代表取締役社長により「鍬入れの儀」、施工主である清水建設株式会社の宮本洋一取締役社長により「穿初(うがちぞめ)の儀」が行われた。玉串奉奠は、矢田代表取締役社長、森永製菓株式会社・野田修常務取締役、群馬県知事(産業経済部長が代理)、松浦市長、高崎商工会議所・原浩一郎会頭、キリンビール株式会社関東統括本部群馬支社・加藤勝重支社長、清水建設株式会社・宮本取締役社長、大成温調株式会社・山口隆義代表取締役社長、森永エンジニアリング株式会社・石井忠代表取締役社長が玉串が行った。

 直会式では、矢田代表取締役が「次の世界を担う子どもたちのために、気を引き締めてお菓子づくりを行う」と宣言。群馬県知事は「水や自然、恵まれた交通アクセスを持つ群馬県を、全国にアピールする良い機会」と森永進出を喜んで迎え入れた。松浦市長は「都市イメージがさらに向上する」と高崎工場着工を歓迎。市長は「産業経済基盤を強化し、東洋一の工場になるように全力で支援する」と述べた。

 施工者挨拶では、宮本取締役社長が「雨降って地固まり、その後に明るさが見えてきた。近隣の人や環境に考慮しながら、工事を行いたい」と日の天気の様子と重ねて祝いの言葉を贈った。

 キリンビール高崎工場は平成12年8月に閉鎖。キリンでは、平成10年から、ビール部門の売り上げ減少のため、東京、広島、京都の国内3工場を相次ぎ閉鎖。発泡酒市場への参入を進め、売り上げ額の減少を補おうとしてきたが、ビール市場の縮小に歯止めがかからないことから、閉鎖を決断。跡地の売却先を探してきたが、広大な土地であり、工業専用地だったため、売却交渉は難航。森永への売却までに、7年の年月を経た。

 森永製菓は、将来的な増産への対応と、新分野への生産対応を見据えた生産拠点として高崎工場を位置づけている。高崎を選んだのは、日本海側、太平洋側、どちらにも近く、輸送効率があがり、雇用に有利であるため。高崎市は雇用拡大や税収効果が期待できると歓迎した。

 7、8年をめどに、最終的には国内6工場(神奈川県横浜市の鶴見工場、栃木県小山市の小山工場、千葉県野田市の森永スナック食品)の機能を集約する計画。4期に分けて順次、工場を建設。今回の第1期工事では、ビスケット製造を主力とした工場を建設。従業員は100人規模でスタートし、2~3割は既存従業員の配置転換、残りを地元雇用。最終的には500人体制で、キャンディー、チョコレートなどを製造する予定。

 当初、平成20年10月開始着工、平成22年の年春稼働の予定であったが、平成20年6月、同社は着工を無期限延期する方針を明らかにした。原材料価格の高騰などを背景に、生産体制の見直しをはかるとし、高崎工場は計画通り建設する方針をあわせて示していた。発表直前の、2008年3月期連結営業利益見通しは、従来の60億円から50億円に下方修正された。修正の理由は、主力ブランドが堅調に推移したいっぽう、新商品群が苦戦したことなどだった。ガソリン価格の高騰やリーマンショックなどの経済背景と時期が重なった。

 その後、海外乳製品をはじめ、原料価格が低下したこと、マーケティングコストの再構成や全社的なローコストオペレーションが進展したことなどで、業績が従来予想を上回る見通しになった。平成21年10月1日には、9月中間期の予想利益を上方修正。平成21年4月から9月期の連結業績予想についても、営業利益を18億5000万円から28億5000万円へ、四半期純利益も9億5000万円から18億5000万円へと上方修正。平成21年10月21日に 新工場建設再開を発表した。

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