遣米使節150周年記念シンポ/小栗まつり

(2010年5月24日)

遣米使節150周年記念シンポ/小栗まつり記念シンポジウム

 倉渕ゆかりの幕末の偉人、小栗上野介公を偲ぶ「小栗まつり」が、23日に行われた。主催は小栗上野介顕彰会。午前中は倉渕中央小学校で式典と遣米使節150周年記念シンポジウム、午後は東善寺の小栗公墓前での法要と同寺講堂で演奏会などが催された。横須賀市、浦安市からも来賓が参加した。

 小栗公は、幕末の万延元年(1860)に、日米修好通商条約批准のため遣米使節団の一員として、アメリカ軍艦ポーハタン号で太平洋を渡り、帰国後は、横須賀の造船所建設など日本の近代化に貢献した。慶応4年(1868)、明治新政府軍により無実の罪で家臣とともに倉渕の水沼川原で斬首された。小栗公の功績は、明治維新によって正しい評価が得られず、日本の歴史教育おいても、ほとんど取り上げられてこなかった。

 式典で、顕彰会の市川平治会長は「小栗公の生涯や功績に対し、正しい評価が広く知られ、明治維新の再検証が行われるようになった。幕末から明治に至る日本の黎明期の歴史を学び、正しい歴史観を発信していきたい」とあいさつした。

 同会名誉会長の松浦市長は「顕彰会は、小栗公の無念の死を悼み、功績を世に知らしめるとともに、正しい歴史観を発信する役割を担い、意義深い活動を続けてきた。顕彰事業を通じて、横須賀市と交流して地域おこしをはかってきた倉渕地域の活動は高く評価される」と祝辞を述べた。また横須賀市の沼田芳明副市長は「三浦半島の漁村にすぎなかった横須賀は、製鉄所建設を契機に発展を遂げた。小栗公は横須賀の父と言うのにふさわしい」と話し、横須賀市と倉渕地域、高崎市の交流を紹介しながら謝意を表した。

 シンポジウムでは、元NHKの鈴木健次さん、歴史家の平田稔さん、山本三郎さん、歴史小説家の鳴海風(なるみ・ふう)さんをパネラーに、東善寺の村上泰賢住職が司会をつとめた。

 遣米使節団の中で小栗公が先見的な視野を持っていたことや小栗公の日本近代化計画などが、史料をひもときながら示された。特に日本人初の太平洋横断と教えられている咸臨丸の虚実が強調された。日本人初の太平洋横断は、江戸時代初期に既に行われていたこと、咸臨丸に乗っていた勝海舟ら日本人乗組員はひどい船酔いでほとんど何もできず、実際は11人のアメリカ人乗組員が航行させていたことが記録によって明らかであり、小栗公の功績とともに正しい歴史を伝えるべきだとまとめられた。

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