ちょんまげ時代の高崎

第四話 安藤氏城郭を完成

ちょんまげ時代の高崎:第四話 安藤氏城郭を完成

 関が原の戦いから約二十年経って安藤重信という二代将軍の老中を務めた方が、千葉県小見川三万六千石から二万石加増され高崎の殿様となった。この安藤氏は三代にわたって高崎を治め、備中松山(現在の岡山県高梁市)へ転出した。この間に滞っていた城郭を整備し、一般的に天守閣と呼ばれる御三層櫓を建設。また、領内の総検地を行う一方で新町、田町、本町の三ヶ所に伝馬町を、田町には絹市場を開設し城下町の基礎を築いた。


 備中松山に転出した後は、美濃加納(岐阜市の一部)を経て福島県の平(いわき市)に移り明治維新まで続いた。平に移ったときの信成という方は松平定信の寛政改革に老中として活躍した。


 安藤氏に係わる歴史上の出来事は、井伊直弼の後の老中安藤信正が、水戸浪士などに江戸城坂下門外で襲撃された坂下門外の変がある。信正が推進した朝廷と幕府とが一体となる公武合体政策が自分たちの意に沿わないだけで殺戮に走る無頼な連中に憤りを感じて止まない。


 また、この二年後に、上洛する水戸天狗党を討伐せよとの幕府により、高崎藩は下仁田で戦争するのだから水戸人とはよくよく悪縁がある。私にとっても曽祖父がこの戦役で銃弾に倒れたので、水戸にも尊敬する友人がたくさんいるが、歴史上の水戸人にはなんとなく「水戸っぽは・・・」と言いたくなる。


 安藤氏のご子孫には平成元年に「徳川忠長公と高崎藩遺品展」という展示会でお会いした。安藤綾信さんとおっしゃり、とても恰幅のよいまさしく"殿様"という風貌の方。この企画のためにおいでになったと思っていたら、毎年忠長卿の命日(十二月六日)前後に催される「徳川忠長追福香茶会」におみえになっていらっしゃる。と言うのも、安藤さんは御家流茶道宗家十六代、安藤家御家流香道家元十一世で、高崎にもお弟子さんがたくさんいらっしゃる。今でも安藤家と高崎との強い絆を感じる。

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