ちょんまげ時代の高崎

第六話 怨念が悲劇を招く

ちょんまげ時代の高崎:第六話 怨念が悲劇を招く

 三代将軍を巡る決着は、家康が長子襲封対策を確立するためと言われている。しかし、家康自身は、長男信康亡き後に次男、三男、四男の誰を跡取りにするか迷った末、消去法的に三男秀忠を二代将軍にした。そして三代将軍も政権争いでたまたま長男の竹千代(家光)が国松(忠長)派に勝った結果で、長子襲封の結果ではないと思う。


 つまり竹千代指名は取り巻きからの強い工作が功を奏した結果であり、その代表格が春日局。織田信長に謀反を起こした明智光秀の家来齋藤利三の娘お福である。利三は捕らえられ処刑、お福は苦労をした末に稲葉正成の後妻となったが離別して大奥に入り、竹千代の乳母となった。そして家康の側室お勝に近づき、知遇を得て伸し上がり、自分が乳母である竹千代を後継者にと家康に直訴し目的を達した。


 この一連の関係を見ると明智一族の怨念を感じてしまう。というのも二人の母親秀忠夫人は憎き信長の娘・お市の方の娘である。国松君を後継にとする秀忠夫人の意に反し自分がコントロールできる竹千代を将軍にし、権力を握ろうと図り、結果強大な権力を掴むことになるのだから。


 忠長卿のお墓は大信寺さんにあり、高崎市の指定史蹟。五輪塔で右の石垣、正面の石扉には葵の紋が彫ってある。しかし、日光東照宮の家光の墓、大猷院廟とは月とスッポンである。我が家の墓はその背中合わせなので、子供の頃から手を合わせて育った。父から「家光が死ぬまで墓を造らせず、出来てからも鎖で繋がれていた」と聞かされ酷いことをするものだと思ったものである。


 家光は徳川政権を確立した将軍のように思われるのは、忠長卿を身近に感じて育った者には辛いものがある。家光自身はたいしたことはなく、新進気鋭の松平信綱ら老中(閣僚)の政策が特筆されるものだったに過ぎないと思うのだが。

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