たかさき町知るべ
連雀町(れんじゃくちょう)
市街地の中央部、旧城の大手門前から、真直ぐ東へ向って大通りへ出たところにある町で、北は白銀町と田町、西は鞘町、宮元町、南は桧物町、新町、砂賀町、東は通町となっている。
この町は箕輪城下にすでにあった町で、慶長三年(一五九八)城の移転にともなって、住人や町名まで、一緒に引っ越してきた町である。「連雀」とは「連尺(索)」のことで、二片の板を紐でつないだ背負い具のこと、むかしは、連尺に商品を背負って来て、露天で商いをした。町では年に一度、商人から場所代にあたる口銭を徴収することにしていた。これを「連尺運上」といっていた。
箕輪時代、里長(町長)であった貝発新兵衛、堀口務右衛門は、高崎移住後も町の長をつとめ、城主井伊直政の命によって、総町役人の長となった。
江戸時代、城の大手前から中山道本道に至る四ツ辻のところに番屋が置かれ、通町への道には木戸が設けられていた。
江戸時代この町は、町名のとおり商人町で、城下の紙販売については、藩の方針によって、この町だけに限定されていた。
県内では、城下町前橋と館林にこの町名があったが、両市とも新しい名に変えられてしまって今はなく、高崎だけになってしまっている。