たかさき町知るべ

鞘町(さやちょう)

たかさき町知るべ:鞘町(さやちょう)

 旧城下の職人町の一つで、市街地のほぼ中央にある町である。北は中紺屋町、西は宮元町、南は桧物町、東は連雀町となっている。


 慶長年間、井伊直政による箕輪からの移城とともに、城下にいた様々な人たちも、新生高崎へ移って来た。この町へは、刀の鞘をこしらえる鞘師が多く住んだので「鞘町」の名がつけられた。


 この町は、南北の道路が中心の町であるが、東西の小路には刀を研ぐ研師が多く、「研町」と呼んでいた。明治一七年(一八八四)に著わされた土屋老平(おいひら)の『高崎旧事記(くじき)』には「研町ノ名今ハ知ル人モ稀也。何年頃ヨリ廃シタルニヤ」と記されている。


 幕末期この町には、漢字者市川左近(いちかわさこん)が開いた私塾があったが、この塾がもとになって、明治六年(一八七三)公立の鞘町小学校ができた。また、この町には昭和二年まで俳人村上鬼城が住んだ家があった。その旧宅を示す石碑が建てられている。石碑には「俳聖村上鬼城先生旧居跡」とあり、「けさ秋や見入る鏡に親の顔」と鬼城の句が刻まれている。また、いまは「さやもーる」と名付けられた南北の通りには、鬼城の句碑二基が建てられている。


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