たかさき町知るべ

九蔵町(くぞうまち)

たかさき町知るべ:九蔵町(くぞうまち)

 旧市街地の北東部にある町で、北は椿町、本町、西は嘉多町、新紺屋町、南は北通町、田町、弓町、東は高砂町、北通町と境界を接し合っている。


 町名は、慶長六年(一六〇一)に北爪九蔵がここに居住し、のち、人家がふえて九蔵が町名主を命ぜられたことによる。北爪九蔵は大阪冬の陣の時(一六一四)に、藩主酒井家次(いえつぐ)に従がって出陣し、大阪城一番乗りを果した。九蔵はその戦功によって町を賜わったと伝えられている。


 江戸時代、町内を中山道が通っていて、北通町への路傍には一里塚があり、沿道には商家が多く並んでいた。新紺屋町への西ノ小路は、長さが三三間あり、その間は長屋であったので、「三三間長屋」とよばれていた。また、東ノ小路は、時宗の念仏を唱える「磬打町(かねうちまち)」へ通じる道だった。


 九蔵町には寺が三つもあり、「寺町」の感がある。その一は曹洞宗の青龍山洞珠院大雲寺、境内に薬師如来をまつる石堂があり、城の「鬼門鎮護(きもんちんご)薬師」といわれた。その二は箕輪の日蓮宗妙福寺から移転の、広布山演詳院正法寺、この寺の由緒は数度の類焼によって不詳とのことだが、文学僧自来の墓があり、「月花のながめはかれて虫のこゑ」の辞世句が刻まれている。その三は、井伊直政の家臣で、新生高崎の町割検地の任にあった西郷藤左衛門が、箕輪椿山の法華堂を移建し開基となった、日蓮宗の西郷山本行院法華寺である。


 明治八年(一八七五)、赤煉瓦のハイカラな西洋建築の「第二国立銀行高崎支店」が町内に開設された。これは、県内では最初の銀行で、金融、商業、産業界の中心になった。昭和六年には、町内に「高崎商工会議所」ができた。


高崎の都市戦略 最新記事

勝ち残る専門店

グラスメイツ
グラスメイツ
メガネ店の店員も買いに来るメガネ専門店
有限会社三洋堂
有限会社三洋堂
パソコン全盛時代に書道のおもしろさを伝える
株式会社清水増
株式会社清水増
見事に転身!繊維卸からお祭り専門店へ

すべての記事を見る