たかさき町知るべ
通町(とおりまち)
市街地の東部にある町で、北は真町、北通町、西は白銀町と連雀町、南は砂賀町、八島町、東は旭町となっている。
江戸時代のはじめ、中山道は江戸へ下るのに、板鼻宿から豊岡を経て烏川を渡ると、赤坂-本町-椿町-九蔵町-北通町-通町-砂賀町という道筋を進んだ。「通町」の名は、中山道の「通り」の意味である。中山道はその後、慶長七年(一六〇二)には、本町-田町-連雀町-新町-南町と一筋西の道へ移された。
町内には慶長三年(一五九八)箕輪から城とともに移転の慈光山常照院安国寺がある。この寺はもとは禅宗であったが、後、浄土宗に変った。明治四年(一八七一)発足の第一次群馬県の県庁舎はこの寺に置かれた。大手前から東へ向かう道は、連雀町で中山道を横ぎると、安国寺に突き当たる行き止まりの道であった。都市部の再開発が進み、寺は南へ移転してここに通りができた。「慈光通り」とよんでいるが、この名は安国寺の山号から名付けられたものである。
もう一寺、これも浄土宗の京都智恩院末の願行山峰巌院大信寺がある。この寺も箕輪から移転の寺であるが、墓地には、寛永一〇年(一六三三)一二月に切腹して果てた、三代将軍家光の弟、徳川忠長(ただなが)の墓と、江戸公許、秤座(はかりざ)の守随(しゅずい)彦三郎の墓があり、市指定史跡になっている。