たかさき町知るべ
相生町(あいおいちょう)
市街地の北部に位置している町で、北は住吉町、請地町、西は上和田町、赤坂町、南は四ッ谷町、東は成田町となっている。
江戸時代のこのあたりは、赤坂村の耕地になっていたが、宝暦六年(一七五六)、赤坂村の小泉某が藩に願い出て貸家をつくり、町とし、九年に藩主大河内輝高(てるたか)が「相生町」と命名したと伝えている。町名のいわれは、城内にあった二本の松にちなむという。
江戸時代のこの町は、三国街道に沿っていて、旅人の往来が繁く、茶店なども並んでいた。またここは、城の外郭にあたっていて、藩の木戸が置かれていた。