たかさき町知るべ
下横町(しもよこちょう)
旧市街地の南部に位置している町で、北は鍛冶町、桧物町、西は宮元町、西から南は若松町、新田町、東は新町に接している。
この町は、江戸時代には新町の一部で「下ノ横町」といわれていたが、明治一〇年(一八七七)城主のための栽園であった「前栽町」を併せて新町から分離独立した。
町内には、旧城下では一番古い寺、治承元年(一一七七)創建と伝える曹洞宗の白竜山東谷院興禅寺*こうぜんじ*がある。治承元年は源頼朝が平氏追討のために鎌倉で挙兵の三年前のこと、この寺は、天台宗の寺として開かれたが、和田氏によって曹洞宗になった。寺は当初城内三ノ丸のあたりにあったが、井伊氏の高崎築城に際して現在地に移転したものである。明治三九年(一九〇六)この寺の住職全明鉄定(てつじょう)は、社会事業として「高崎育児院」を境内に開設し、孤児の救済に尽力した。
もう一寺、町内には高崎城とほぼ創建の時期を同じくする曹洞宗の東陽山向雲寺(こううんじ)がある。