矢島 八郎

やじま はちろう(1850~1921)

初代高崎市長 「終始一誠意」、近代高崎の礎を築く

矢島 八郎1930(昭和5)年に、その功績をたたえて観音山丘陵の讐山清水寺裏に建立された矢島八郎の銅像。

八郎に大きな影響を与えた父

 矢島家は代々、新町の伝馬問屋年寄で、八郎は1850年に生まれ、7歳の頃より漢籍、書を学んでいました。伝馬(てんま)とは、近世までの日本に見られた使者や物資を馬で運ぶ交通制度で、江戸幕府は諸街道を整備し各宿場に伝馬を整備させました。問屋場(といやば)は江戸時代の街道の宿場で、幕府や大名の輸送用の人馬の継立、助郷賦課(農民に課せられた労役の賃金計算)などの業務を行うところで、その主宰者を問屋と称しました。

 新町は本町、田町とともに伝馬宿を務め、その町の名主が伝馬役を務めました。

 幕末の1862年から1866年までの五年間、高崎城下で「新町御伝馬事件」という大きな一揆が起きました。その遠因は1783年の浅間山の大噴火で、被害は年ごとに深刻化し農作物は壊滅状態に陥り、伝馬宿への負担や負架金が多くなりました。その上、高崎宿の大半を焼失した大火で新町は全滅状態となりました。

 そこで新町では町役相談の上で、街の復興のために旅芝居、角力(すもう)、見世物などの興行と旅籠に飯盛女を置くことなどを藩に願い出ましたが拒絶され、町民は禁じられている「箱訴(はこ)」に及びました。「箱訴」とは、享保の改革から江戸幕府に置かれた目安箱への直訴のことです。

 このような状況下、1864年に水戸天狗党を追討するため、幕府若年寄の田沼玄蕃らが高崎に宿泊、藩はその費用300両を伝馬宿に負担させようとしました。しかしこれに応じなかったため新町の重役ら五人を入牢させ、他の五人を「手錠腰縄つき」の刑としました。本町から救いの手が差し伸べられ入牢者を放免し、事件は解決しました。

 この事件に連座した父親の八郎右衛門が事件未解決のなか死去すると、一四歳の八郎は嘆き悲しんで断食を行い、これを見た周囲の者は大いに感動したといいます。御伝馬事件のもたらした辛苦は、八郎の青春の思想形成に大きな影響を及ぼしました。

八島町は名字の「矢島」が由来

 八郎は、八郎右衛門を襲名し問屋年寄見習となり、大小区制が施行されると、第五大区第六区戸長となって町政に携わるようになりました。1873年に中牛馬会社を設立、高崎―東京間に郵便馬車を走らせるなど運輸業に励む一方、政治家としての素質を開花させていきます。1878年には群馬・片岡両郡兼郡書記。1884年には県議会議員に当選、この年、駅伝取締法実施により本県総取締となりました。

 またこの年、高崎に東京・上野から鉄道が延びると、八郎は私財をなげうって広大な駅用地を寄付し鉄道開業に尽力しました。そのため、新地名を「矢島町」とする案が浮上しましたが、八郎が固辞したため、「八島町」となりました。

 1888年に碓氷峠に馬車鉄道を敷設するため、前橋の高瀬四郎らと奔走し、横川・軽井沢間の汽車連絡の便を図りました。

 1889年、町村制の実施に当たり高崎の町会議員に当選、ついで初代高崎町長に、1892年に衆議院議員に当選、1894年に高崎米穀取引所頭取、翌年には上野鉄道会社取締役となりました。

今も継承される八郎の理念

 1900年の市制施行に際して、八郎は初代高崎市長(在職六年)に就任しました。八郎は市長を辞める直前の明治39年6月22日に開かれた市会で、市制遂行の基本方針となる「市是」を発表しました。

 「市是」の第一期は1.水道敷設 2.教育設備の完成 3.市役所庁舎・伝染病院改築 4.道路改修 5.商工業の発達 6.財源の強固化 7.公園の完成の七懸案で、その資金を内外資に仰いで長期償還としたことは、先駆的な政策であったといえます。

 そして、第二期は、1.下水道の完成 2.市の区域拡張 3.市区改正 4.商工学校設立 5.道路・溝渠(こうきょ)改修制度の五懸案を示した。

 このように「市是」は、高崎の都市づくりの道筋を明確にするとともに、大高崎建設への並々ならぬ決意を示しました。特に水道敷設工事と教育の振興に力を注ぎ、戦後の復興期まで高崎の都市づくりの指針であり続けました。

 矢島八郎は、「終始一誠意」という書を多く残しています。生涯を高崎の発展のために私利を離れて公共のために寄与しようと努める、節操高潔な人であったことをよく示しています。1921年に死去、「葬会約3,000名、高崎始まって以来の盛式」(砂賀町日記)と言われました。

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