茂木 惣兵衛

もぎ そうべえ(1827~1894)

高崎から横浜へ― 横浜の基礎をつくった日本一の生糸貿易商

茂木 惣兵衛茂木 惣兵衛

開港間もない横浜で活躍した豪商

 1859年、幕府はアメリカなど四カ国と修好通商条約を結び、神奈川港など四港を開港しました。当時、人影まばらで寂しい漁村でしかなかった横浜が、急に海外貿易の中心港になりました。開港には上州商人が大勢入り、港の商取引を支配したと伝えられています。その中に、茂木惣兵衛の姿がありました。

 茂木惣兵衛は、高崎の質商大黒屋の長男として生まれました。12歳の時に新田郡太田の太物商今井仙七の家に奉公し、才能を認められて支配人に抜擢され、26歳で桐生の絹商人新井長兵衛の養子となって絹取引で幅広い活躍をしていました。

 その後、開港間もない横浜で貿易商として進出していた埼玉県出身の野沢屋庄三郎率いる野沢屋に、生糸貿易の経験を買われて勤めました。1860年に養子として、横浜商人石川屋平右衛門の石川屋を相続しますが、1861年の野沢屋庄三郎の死をきっかけに、一年ほどして野沢屋の暖簾を譲り受け石川屋を野沢屋と改称。そして、野沢屋惣兵衛と名乗り独立しました。

 それからも地道な努力によって幕末の混乱期を乗り切っていきます。1876年には取扱生糸量が生糸売込商人中第一位となり、惣兵衛の存命中ほぼ維持されたといわれます。生糸輸出を中心に幅広い活躍をし、横浜商人の逸物といわれる豪商になりました。その性格は温厚で謙虚。人相は耳たぶの大きな福耳に特色があったと伝えられています。

生糸生産の振興のために銀行を設立

第二国立銀行高崎支店

 惣兵衛は、明治になって金融業を志すようになりました。

 1869年には横浜為替銀行を設立するとともに頭取になり、1874年には第二国立銀行や横浜取引所の副頭取、1881年には第七十四銀行の頭取になるなど、新時代への対応も鮮やかでした。

 第二国立銀行高崎支店は群馬県下で初めてつくられた銀行です。1875年に高崎の九蔵町に設立されました。第二国立銀行は日本で二番目に古い銀行で、1874年に、生糸生産振興を主な目的として横浜につくられました。発起人には、惣兵衛をはじめ、勢多郡新里村出身の吉田幸兵衛などの生糸貿易商の名が多くみられました。横浜に本店を置き、支店は高崎と横須賀の二か所に設けられただけでした。生糸生産県である群馬に着目し、その中でも商業と交通の拠点であった高崎をいかに重要視したかがうかがえます。しかも高崎は副頭取である茂木惣兵衛のゆかりの土地でした。

 第二国立銀行高崎支店の設立は、群馬県の製糸産業界への資金供与が主な目的でした。融資以外にも銀行進出の果たした役割は大きく、「荷為替」などの為替を用いた取引で、品物を早い段階で一部収入に変えることができるようになりました。江戸末期頃から運送の便は大いに整ったにもかかわらず、支払方法の整備がなされていなかった買付業者にとっても銀行の信用資金で実際の資金以上の買付が可能になり、生糸産業の発展に大いに寄与しました。1884年に年間預金総額107万円を有し、他行と比べて圧倒的な規模を誇りました。

横浜銀行、横浜松坂屋、熱海の梅園… 現代につながる惣兵衛の功績

 惣兵衛は蓄えられた資産を常に公共のために投じていました。その一つが1886年に開設された熱海の梅園です。内務省の初代衛生局長である長与専斎がわが国初の温泉療養施設「きゅう汽館」に遊歩公園造成を提唱したのを受けて、惣兵衛が出資し地元の協力を得て完成させました。皇室財産、国有財産を経て、1960年に熱海市に譲渡されました。

 「茂木惣兵衛」は、惣兵衛家の家督を継ぐものが名乗りました。初代惣兵衛が1894年に没した後、茂木商会は合名会社となり、多角的に事業展開を行って総合商社化していきます。

 1896年に独自の茂木銀行を横浜に設立し、高崎の九蔵町に支店を出店。やがて第七十四国立銀行を吸収合併し、七十四銀行と称しました。後に、株式会社第二銀行と合併して横浜興信銀行(現在の横浜銀行)となり、高崎支店も1920年より横浜興信銀行高崎支店としてスタートしました。

 初代惣兵衛の没後、野沢屋は茂木財閥として拡張しましたが、大正の第一次世界大戦後の不況に巻き込まれ、三代目茂木惣兵衛のときに崩壊しました。野沢屋の暖簾が消えることを惜しんだ絹物輸出商の亀井信次郎と、茂木家の縁者であった名古屋の瀧家の瀧定助(正太郎)により、野沢屋呉服店が独立し、後に野沢屋百貨店として横浜市民に愛されました。これが横浜松坂屋の前身でしたが、横浜松坂屋は業績不振により、2008年10月に閉店となりました。

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