小島 弥平

こじま やへい(1853~1931)

温顔に美髭の似合う人だった

小島 弥平小島 弥平

鋳物屋から近代機械製造工場へと発展させた高崎の近代工業の父

国産第一号 醤油製造用水圧機の大ヒット

 小島鐵工所は明治期の高崎を代表する近代的工場でした。1809年に“鋳物師”の権利を譲り受けた弥平の祖父が歌川町に「鍋屋」(小島鐵工所の屋号)といわれる鋳物屋を開業しました。初めの頃は親方が職人や徒弟を相手に鍋や釜、農具などを作っていたに過ぎず、販売地域も高崎や付近の農村でした。しかし、技術的にはかなり高度なものがあり、鋳物で有名な埼玉県川口の職人の多くが鍋屋で腕を磨いたといいます。

 小規模のマニュファクチャー的鋳物屋を小島鐵工所として大きく育てたのが小島弥平です。弥平は黒船の来航した1853年に歌川町で生まれ、1869年に16歳で家業を継ぎ、明治20年代の半ばごろまでに経営基盤を築きました。在来産業として農具や日用雑貨の生産にとどまっていた鋳物業や鍛冶業の多くが衰退する中、1885年には早くも機械製造業を開始し、醤油製造用の水圧機の国産第一号を開発。野田、銚子をはじめ全国の醸造所の需要に応え大ヒット商品となり業績を伸ばしました。なお前年には、皇居二重橋造営にあたり、沼田出身の設計者・久米民之助の依頼を受けて橋げたや装飾部分を鋳造しました。

実業界の重鎮として、地域の産業経済の振興に貢献

鋳物屋から出発した「鍋屋」は小島弥平によって見事な近代工場に。構内にレール網を配備し工場間を結んだ

 高崎に市制が施行されると、弥平は市長候補の第三位候補に選ばれました。最初の市議会議員選挙に当選し、その後二度再選されました。実業界の重鎮だった弥平は、高崎商業会議所(現高崎商工会議所)の設立に当たり、創立委員として重要な役割を果たしました。1907年3月から1921年2月まで第五代会頭として連続6期14年間、草創期の課題を解決しました。

 高崎市上水道水源地の工事を督励したり、公衆電話の架設、煙草製造所の設置、高崎駅改築、公会堂の建設実現等、地域振興に尽くしました。

 また、群馬鉄道馬車株式会社による高崎―渋川間の運行、同社の高崎水力電気株式会社との合併により電気軌道による開業に奔走しました。財界人として上毛貯蓄銀行の取締役、上州銀行顧問などに就任しましたが、特筆すべきは、高崎水力電気株式会社の創立と社長に就任し、大正一〇年に同社が東京電燈株式会社と合併するまで、電力を通して地域の産業経済の振興に先駆的な役割を果たしました。

小島家→井上家→児玉家 経営者の推移

 1930年の金解禁後の不況では、小島鐵工所も深刻な打撃をこうむり、弥平の長男・弥一郎が昭和6年に第四代社長に就任するも、経営難から小島家の手を離れ一時は日本興行銀行の傘下に入りました。1936年に小島家と姻戚関係にあった井上保三郎氏(井上工業の創設者)が事業を引き継ぎ、やがて保三郎氏の姪を妻にしていた児玉安蔵氏が鐵工所経営の経験を買われトップの座につきました。

 工業化が急速に進行するなか、企業経営や産業技術について専門的知識と経験に恵まれた安蔵氏は、自ら出た高等工業の同窓生や先輩後輩を入社させ、高度な技術者集団を組織しました。さらに「企業は人なり」を理念に、戦前から企業内教育に熱心に取り組み、年少見習職工の資質向上を図るため、県立高崎工業高校(現高崎工業高校)に高等小学校卒業を基礎資格とする二年制の機械科、電気科が増設されたことなどを契機に、高崎工業学校の試験に合格した者には、午後5時から9時まで勉学に取り組める環境を整えました。

 「収入が増加することによって、本人の家族生活が楽になる。生活が豊かになれば精神的な安定もつき、人格も向上する」という安蔵氏の考えが、従業員の勤続年数の長さにつながり、工場の高い技術水準を実現してきました。

優秀な人材の育成・確保で世界の小島に

小島家の墓(常仙寺)

 弥平は生来、温厚篤実の人で、幼いころ漢学塾に学び、終世、読書に親しむ教養人として知られていました。ちなみに、弥平の子息の米三郎は井上保三郎の娘婿、軍造は国際基督教大学教授であり、孫の弘一は戦後、民選初の高崎市長となりました。

 企業を存続・発展させていくために、優秀な人材の確保と育成が何より大切であることは、弥平から始まる小島鐵工所の理性として、脈々と受け継がれてきたといえます。

 安蔵氏以降、小島鐵工所は児玉家の経営の元で、国内はもとより世界有数の油圧プレス機器メーカーに躍進し、2009年に創業200年を迎える長寿企業となりました。

※この稿は高階勇輔高崎経済大学名誉教授のお話と『小島鐵工所200年史』をもとに構成しました。
※資料提供 小島鐵工所

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