大河内 輝聲

おおこうち てるな(1847~1882)(大河内 輝照)

軍政の近代化を進めた高崎藩最後の殿様
しゃれっ気のある文人気質

大河内 輝聲大河内 輝聲

高崎藩主から高崎県知事、そして華族へ

 幕末から明治にかけて大規模な政治変革が起こり時代は急速に変化しました。1869年版籍奉還が行われると高崎藩は高崎県となり、藩主大河内輝照は知事に任命され、このとき名前を輝聲と改めました。そして1871年の廃藩置県に伴い、高知県士族安岡良亮が高崎県大参事に任命され、高崎県の政治を担うことになると、知事の大河内輝聲は罷免され、華族として上京を命じられました。

13歳で高崎藩主となり関東譜代の責務を果たす

 高崎藩は家康の関東入国の時、箕輪に封ぜられた井伊直政が和田城を修築して1598年に移城して以来、酒井・松平・安藤・大河内・間部・大河内氏と藩主が替り幕末に至りました。

 江戸中期以降の藩政は、大河内氏が代々の藩主でした。世に知恵伊豆といわれ、「島原の乱」平定の功によって川越の藩主になった松平信綱は大河内家の先祖です。

 輝聲は号を源桂閣といいましたが、この源姓は信綱の祖源三位頼政から始まります。高崎公園の南にある頼政神社は藩主の氏神です。輝聲は信綱から12代目、1860年に父輝聴が34歳で亡くなると、13歳で最後の高崎藩主となりました。

 1861年には、皇女和宮降嫁の道筋の中山道坂本宿から本庄宿までの警備役を務め、1863年には江戸湾第三台場の警備を担当。1864年には武田耕雲斎率いる水戸浪士天狗党の上野通過に当たり、幕命に従って下仁田で戦うなど、関東譜代としてその重責を果たしました。激戦の下仁田戦争では藩兵300人中36人の死者が出ました。

軍政の近代化に取り組み 例外的に幕府の陸軍奉行に就任

 こうした幕末激動期に、若い藩主は藩政と軍政の近代化に積極的に取り組みました。旧来の仕来りにとらわれず選抜した若手の藩士30、40人を幕府鉄砲方の江川太郎左衛門の下に送り込み、西洋式鉄砲の伝習に参加させ、これを起爆剤に一挙に軍備の近代化を進めようとしました。しかし、輝聲の兵制改革に対する藩内の守旧派の反対が根強かったため、江戸詰めの藩士を主体にした部隊を編成するなど着々と近代化を図り続けました。

 1867年、輝聲は陸軍奉行に任命されました。従来この職には1万石以下の旗本が任命されるのが慣例でしたが、彼の並々ならぬ西洋式銃隊編成の試みが幕閣に認められた結果であると思われます。

 このとき輝聲はお雇いフランス軍事顧問団のシャノアンから陸軍の伝習を受けています。シャノアンに学ぶというだけあって、輝聲の日常生活は椅子とテーブル、朝食は紅茶にカステラというしゃれっ気ぶりで、新しい時代を積極的に取り込もうとした姿がしのばれます。

文人としての暮らしを好み 中国人と交流する

桂林荘の面影を残す平林寺境内にある石碑桂林荘の面影を残す平林寺境内にある石碑

 知事を罷免された輝聲は、大学南校(現東京大学)で英語を学び、浅草今戸町の風雅な屋敷桂林荘に住みました。漢詩文を作り、中国人と交わって悠々自適の生涯を送りました。

 特筆すべきは輝聲と清国駐日公使何如璋一行との百冊余りに及ぶ筆談集が『大河内文書』として残っていることです。なかでも明治10年に来日した書記官の黄遵憲は、日本の多くの文人、書家や漢詩人らと交流し、隔日くらいに公使館を訪ねて来た輝聲との筆談を通した交流は特別でした。

 黄遵憲は『日本雑事詩』ができあがると、すぐに輝聲に見せ、感激した輝聲は初稿を家に残したいと、『日本雑事詩初稿塚』をつくり、邸内に高さ1メートルほどの円筒型の風変わりな碑を建立しました。

大河内の家紋「三扇」に執着した 三遊亭円朝とのエピソード

大河内家の『三扇』の紋大河内家の『三扇』の紋

 三遊亭円朝に自分の羽織を脱いで与えたというエピソードは有名で、鏑木清方の描いた円朝像の羽織は、大河内の『三扇』の紋が付いています。

 江戸小石川にある「是照院」は、享保年間(1716~35)の度重なる大火に見舞われ、これを援助し再興させたのが、高崎藩主・大河内松平右京太夫輝貞公でした。以来、「是照院」は高崎藩藩士の菩提寺となり、「高崎扇」を寺紋としました。そこの15世住職・永泉玄昌禅師が円朝の義兄だった縁から目にした「是照院」の「高崎扇」の紋が、落語家の大事な小道具「扇」をあしらっていること、そして「扇」は末広がりで縁起がいいことなどを気に入り、円朝は「高崎扇」を自身の紋として使うことを高崎藩に願い出て、時の藩主・大河内輝聲から羽織を拝領し、「高崎扇」を高座着に付けるようになったという話です。

 輝聲は35歳の若さで亡くなりました。激動の時代を駆け抜け、西洋文化や中国文化に積極的に親しんだ先進的な文人気質は、現代人の目にも眩しく映ります。

※参考文献:新編「高崎市史」、「おはなし高崎人物伝」(吉永哲郎著)

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