山口 薫

やまぐち かおる(1907〜1968)

戦後日本を代表するモダンアートの旗手

山口 薫山口 薫

箕郷の名家出身。経済的に恵まれ
大家族の愛情の中で育つ

 山口薫は明治40年に、群馬郡箕輪村(現高崎市箕郷町)金敷平の旧家に生まれました。

 山口家は周防山口(山口県)の出で、戦国時代、箕輪城が廃城となった頃よりこの地に移り住み着いた旧家であり、総本家は代々名主を世襲していた家柄です。当主は常に時代の先端をゆく進歩的な人物であったようで、金敷平は山口家の財力により水道や電気が県内の村では最も早く導入されました。

 薫は、恵まれた環境の中で、父・彦太郎、母・佐登の11人兄弟の末っ子として、おっとりとした性格に育ちました。兄の後をついて回る甘えん坊の末っ子は、榛名山のふもとで農作業を手伝い、ひろびろとした畑の夕暮れに染まった空気を深く吸って成長しました。馬や牛を飼い、一緒に山へ行き、子牛や子馬が生まれたといっては喜び、飽きずに見続ける子どもでした。

榛名の懐を離れ、東京美術学校に進学

13歳で群馬県立高崎中学校に入学した薫は、入学時より成績優秀で、剣道、テニス、水泳、乗馬もこなす活発な少年でした。この頃、日々の学校生活の印象深い出来事を、絵と文字を自在に操って物語風に仕立てた日記を書いています。詩的で寂しさを含んだ文章と併せて、小さな画面は豊かな世界をのぞかせました。

 油絵を始めたのは14歳のとき。姉に当時珍しかった油絵具を買ってもらったことが、油絵の道に進むきっかけとなりました。

 17歳、高崎中学4年修了時に水戸高校を受験して、失敗。これを機に画家を志し、東京美術学校を受験するために中学の冬期休暇を利用して、東京の川端画学校でデザインを学びます。翌年高崎中学を卒業すると、東京美術学校西洋画科に進学。榛名の懐を離れ、少年時代に別れを告げました。

帰国後、新しい美術の創出をめざし活動の中心的存在に

 学校では群を抜いた描写力が認められ、2年に進級すると特待生になりました。この頃の力強く若々しい筆致の自画像が残っています。2年連続で帝展に入選した薫は、画家として本格的に始動しました。

 昭和5年、卒業後に薫はパリに渡り、セザンヌ、ゴーギャン、マチスなどの近代絵画に接しながら、足掛け3年の歳月をヨーロッパで過ごしました。

 昭和8年に帰国。その後は、既成画壇から離れ、パリ時代の仲間たちと新時代洋画展、自由美術家協会展、モダンアート協会展を次々と結成し、日本におけるモダンアート運動の中心的な存在として作品を発表し続けました。サンパウロ・ビエンナーレ展やヴェネツィア・ビエンナーレ展などにも出品し、国内ばかりではなく、海外でも高い評価を受けました。1958年に第二回グッゲンハイム賞国内賞、1959年に毎日美術賞、1960年に芸術選奨文部大臣賞などを受賞。母校の東京芸術大学で教鞭をとり、後進の指導にあたりました。

 薫が生涯の大半を過ごした東京の上北沢の自宅は、帰国後間もなく建てられました。建築費用は実家が負担。箕郷から材料も職人も調達し、上州独特の樫ぐねをつくりました。薫にはフランス帰りの画家といった気どりなどなく、静かで素朴な故郷にあったころと変わらない暮らしを好みました。

高崎シティギャラリーにある『朝・昼・晩』高崎シティギャラリーにある『朝・昼・晩』

日本的叙情の静けさで
描いた辞世の画

 昭和14年、32歳で結婚し二男一女をもうけました。絵のモチーフに、故郷の風景に加えて、家族と見た風景や娘が加わりました。どの作品にも柔らかな愛情がにじんでいます。作品は次第に具象から抽象へ、濃い色から淡い色へと変化してゆく。モチーフには、榛名山、牛、馬が何度も現れる。箕輪城の鎧、矢、白衣観音…根底を流れる叙情性は力を増していきました。

 戦中、戦後と画業で暮らしていくには厳しい時代を経ながらも、薫の評価は徐々に高まり、画商から新しい作品を次々と依頼されるようになります。

 温厚で断ることの苦手な薫は、強い圧迫感を感じ、アトリエに入るにもアルコールの助けが必要となり、ついに過度の飲酒が元で胃ガンを患います。

 自分の病が胃ガンであることを知った薫は、入退院の合間を縫って、『おぼろ月に輪舞する子供達』を描きます。軟らかい月の光の中、子どもたちは手をつなぎ輪になって、赤い馬が見守る。この世の優しさという光を集めて絵の具に変えて、淡い輝きを放つ絵を遺して、昭和43年5月、60歳でこの世を去りました。この絵が発表されたのは、死の数日前でした。

 「画家であって詩人ではない」という自らの言葉にもかかわらず、スケッチブックやノートの余白のそこかしこに詩がこぼれ出て、叫びにも似た抑えきれない詩人の心が声を枯らしているようでした。

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