世界に誇るメイドイン高崎

(2010年5月)

 「技術も商品も世界の一級品」。こんな製造業が高崎にあるが残念ながら“意外と”知られていない。


 小売業やサービス業と違って、製造業というのは業務内容が分かりにくい。工場に「○○を作っています」と看板がかかっているわけではなく、さらに様々な技術が組み合わされているためか理解が難しい。


 これに加えて今回紹介する各社は、私たちが日常生活をする上で無くてもほとんど不都合がないものを造っている会社なので、なおさら知らないのも無理はない。


 企業側にしてみれば、工場を開放しもっと高崎市民に知ってもらい、優秀な人材の確保や企業イメージの向上などを図りたいところだが、直接売上増につながるわけもないというのも本音ではないか?


 今回は、決してメジャーではないが、いずれの製品も市場で高いシェアを占め業界では日本を代表する3社を紹介する。こんな企業が高崎にあるということを、ぜひ知ってもらいたい。そして、胸を張って叫ぼう「メイドイン高崎」と!


●株式会社ユタカ製作所

鉄道車両用電気連結器国内シェア90%

 ユタカ製作所は、車両用ジャンパ連結器(写真:鉄道車両の制御回路などの電源回路を連結する機器)や、電気連結器など鉄道車両部品の開発から製造まで行う。特に、風雨や寒さ、振動など過酷な状況で車両間の電気配線を接続する技術は日本一。ジャンパ連結器は国内の全ての鉄道車両で使用されている。


 近年、鉄道の運行ダイヤは超過密化している。同時に「安心」「安全」「遅れない」は当たり前で、車両の連結や切り離しの作業は時間短縮が課題となっている。


 もう一つは作業時の安全性だ。以前は車両の下にもぐり電気連結器の脱着を手作業で行っていたため大変危険な作業だったが、自動電気連結器は運転席のボタン一つで車両の連結と同時に電気系統の連結も行ってしまう。連結器以外にも多くの部品を作っているが、どれも乗客には見えない車両部分に取り付けられる製品を製造している会社だ。


 売上は95%が鉄道車両メーカー。納入先は北海道から沖縄まで。JR・私鉄を問わず、国内の鉄道に乗れば、同社の製品が付いていないものはないという。


高崎は選ばれた都市

 昭和23年、鉄道車両用電線継手製造会社として東京大田区で創業した。10人程の町工場から鉄道の電化とともに業績を伸ばし、鉄道車両部品の設計、製造、販売、修理を行うメーカーとして鉄道各社から信頼を得ている。


 昭和30年代後半には、国鉄の輸送力増強、電化区間延長により受注が増え、本社から100キロ圏内に新工場の増設を検討。静岡、甲府、高崎、水戸、宇都宮など、いくつかの候補地の中から首都圏に近く交通の便の良い高崎への進出を決めた。


 昭和36年に大類地区の養蚕倉庫跡に分工場を開設した。昭和30年代後半から40年代は、養蚕産業の衰退で新たな労働力確保が出来ることも高崎へ進出した大きな要因だったと取締役工場長の石崎昌義さんは語る。その4年後、剣崎町の八幡工業団地の造成と同時に現在の高崎工場を建設。以来全ての製品は高崎で作られている。


設計から製造まで全て高崎

 日本で走る鉄道車両の総数は約50,000車両。鉄道メーカーや電車の種類によって部品の仕様は異なり、接続部分の形状もJRは丸型、私鉄は角型と統一されていない。そのため、機械化が難しく、組立工場内ではほとんどの工程を手作業で行う。同社への注文は少量多品種、設計から試験、製造まで自社で行う。車両の寿命は40年といわれ年間に製造される車両数は1,500~2,000車両。新型車両の製造では、部品の設計段階から関わり試作、耐久テストも高崎工場で行う。


 工場内には、電車の走行を原寸で再現する試験室があり、実際に車両が運行する状況で製品の耐久検査が行われる。何万回もの耐久テストをクリアし製品となる。開発にかかる時間は、時には数年にもなることもある。


 ほとんどが車両の型式ごとの製品、別の型式の部品は、また一から研究開発を行う。手間のかかる作業だ。エコなど時代の風潮も色濃く設計に反映される。近年はハイブリット式の車両に対応したものも製造するようになり、素材も鉄からアルミニウムなどに変え、軽量化した仕様でも安全性と耐久性を実現する製品を開発する。ユタカ製作所では部品製造の他にメンテナンスも行うので、鉄道各社と長い付き合いとなり、信頼関係が業務の鍵となる。昭和60年ごろ競合する製品を作る会社の撤退が相次ぎ、現在ユタカ製作所を含め2社。


 人材教育にも力を入れ教育訓練や外部講習を利用。資格取得にも積極的で、NC旋盤技能士試験や溶接検定試験、鉄道車両製造・整備技能士鉄道車両配線士などの受験を奨励、スキルアップを図っている。顧客を絶対に裏切らないスタンスが、信頼を得て他業者の新規参入を許さない。


海外と異分野への進出

 日本の鉄道車両技術は世界的にも引けをとらない。海外の鉄道車両メーカーと競い、台湾新幹線や中国新幹線などに日本の車両メーカーが採用され、ユタカ製作所の製品も海外で活躍している。また中国の鉄道車両メーカーと技術提携契約も締結している。


 さらに、同社はシェアの高さに満足せず、市場を広げようと積極的だ。「当社は過酷な状況で電気連結をする、“つなぐ技術”が得意。鉄道関係以外に製鉄所などで使用される産業用電気連結器をはじめ、新しい市場を開拓中」と石崎工場長。前向きな姿勢はものづくり職人の魂を感じる。


高崎市剣崎町68(本社:東京都)
代表取締役 谷野利夫
年 商 34億円
従業員 173名(高崎工場112名)


●スターテング工業株式会社

「リコイルスターター」国内シェア8割
創業者は高崎出身

 東京都杉並区に本社がある「スターテング工業株式会社」。創業者原田幹市氏は、旧榛名町生まれ。東京の学校を卒業後、旧中島飛行機(現・富士重工業の前身)創始者中島知久平氏を頼って中島飛行機へ入社し、荻窪工場でエンジン関係の技術を習得した。

 しかし、敗戦後軍需産業であった会社はなくなった。職を失った幹市氏は、会社の同僚と2人で板金工場を始めた。ほんの数坪の狭い“小屋”が社屋。プレスの機械を使った、板金外注加工が仕事だった。


 昭和25年に株式会社を創立した幹市氏は、昭和27年自転車バイクのスロットルレバーやチョークレバーを見て思いついた。当時のレバーは鋳物製。バイクが転倒するとレバーが折れてしまい操作不能となり大変危険だ。「だったら折れにくい鉄板で作ったらどうだろうか」。自社のプレス機で鉄板製のレバーを作ってみた。サンプル品を持って、幹市氏は北海道から沖縄まで全国を営業して歩いた。レバーはバイクメーカーにすぐさま受け入れられ、オリジナル製品第一号となった。また当時は国策で食糧大増産の時代、レバーは農業用機械に多く搭載された。スターテングレバーは、開発当時国内シェア100%だった。


 幹市氏が次に注目したのは、特に農機具のむき出しになっているエンジンのクランクシャフト部分。ロープを巻く回転体が露出していて、ケガをする恐れがある。板金で作ったカバーで覆い、併せてエンジンの始動ができないかと考えた。こうして昭和35年に開発されたのが「リコイルスターター」と呼ばれる小型エンジン始動装置。こちらもすぐさまエンジンメーカー、農機メーカーに採用された。


夢は、大企業に使ってもらえる専門メーカー

 スターターは、現在でも同社の主力製品で、そのシェアは国内80%という高い数字を誇る。大企業の製品中に当社の小さなロゴが確認できるものもある。「日本中の大企業に買いに来てもらえる専門メーカーになりたい」という目標をもっていた幹市氏の思いは、安全性、耐久性が認められ、時を経るごとに達成されつつあった。時代は高度成長期。幹市氏の会社もその波に乗り、売上高前年比倍々の期が珍しくなかった。


 たくさんの需要があり、本社工場(杉並)が手狭になってきた時、高崎市の大八木工業団地への募集が耳に入ってきた。旧榛名町出身の幹市氏は、一番乗りで申し込みをした。昭和39年には、約2,000坪の敷地の中に工場が竣工された。


 その後、スターターだけでなく、草刈機用のナイロンコードカッターも開発された。


 そのほか家庭の中でも目にするもの、たとえば、炊飯器、掃除機のコードリール部分、照明器具用昇降器も量産された。“ロープを引くとくるくる巻き戻す機能”を使った製品に基本技術が応用採用され、目標通り専門メーカーとなっていった。


世界シェア5割

 昭和62年二代目社長に就任した息子の正夫氏は、グローバルな視点で会社のことを考えた。「今までは日本の大手メーカーのエンジンの一部として海外へ輸出されていたが、これからは自らが世界展開する」。平成6年にスターテングUSAコーポレーションを、平成15年には、タイ、上海、香港に現地法人を設立し、現地に従業員300人余りを抱える。世界中のエンジンの生産台数は、年間約4,000万台。約半数のエンジンに同社製のリコイルスターターが搭載されている。世界的なビジョンを持ったお陰で、近年の不況を何とか乗り切って来た正夫氏。「夢を見ることから始める」、まだまだその途上にある。


創業者の郷土愛 社名は榛名神社に由来

 昭和43年「中央プレス工業株式会社」から「スターテング工業株式会社」へと、社名変更が行われた。その名前は、榛名神社で行われている例大祭にちなんでいる。例大祭のときに神社から街へ繰り出す神様を案内するのは、鴉天狗(からすてんぐ)。山伏装束をまとった鴉天狗は、神を下界に先導して行く。


 榛名神社で神を先導する天狗。当社にとって“お客様は神様”、その“神”であるエンジンに命を与え、稼動に導いて行くのは自社の製品。そう考えて「リコイルスターター」と「天狗」を社名に使った。


 「この名前からもおわかりのように、父は故郷高崎を愛していたと思います」と正夫氏は語る。以前は地元榛名町からバスを仕立て近所の人たちを工場見学に招いたりもした。榛名神社参道には社名入りの観光案内版を寄贈した。郷土を愛し、郷土での成功が誇らしかったのであろう。


 安価で同類の部品も中国等で多く出回る中、お客さんは、「スターテング製」を求めてくれている。日本人のものづくりに対する真摯な姿勢を買いに来てくれているといっても過言でない。


 「スターテング」は先頭に立ち、ユーザーの期待に応えるべく世界中を渡り歩いている。

高崎市大八木町777(本社:東京都)
代表取締役 原田 正夫
年 商 50億円
従業員 全社 300名(高崎工場 270名、内9割が地元採用)


●株式会社三宅製作所

「醸造プラント」国内シェア9割
ビールが飲めるのは三宅製作所のおかげ

 取引先は、アサヒビール、オリオンビール、キリンビール、サッポロビール、サントリーなど国内の大手ビールメーカーが並ぶ。事業内容は、ビール醸造プラント、ウイスキー醸造プラント、ブランデー醸造プラント、ワイン醸造プラントなどを主に取り扱っている。私たち一般消費者には馴染みのない会社だが、業界ではなくてはならない会社である。


 昭和24年創業。当初は、本社のある大阪で製品を作っていたが、ビールメーカーや同業者が次々に東京に進出するにつれ、関東圏への進出を考えるようになった。


 創業当時は、巨大なタンクを船で運搬することが多く、港に近い場所が工場の立地に適していた。しかし時代が変わるにつれ、輸送の中心が陸上輸送になったことや東京から近いということから、高崎市が建設地として選ばれた。


 昭和39年、大八木工業団地内に高崎工場が落成。今や高速道路網や新幹線なども発達した高崎市、「候補地選びは間違っていなかった」と取締役工場長の三宅敏博さんは話す。


製品は全てオーダーメイド

 取引先メーカーの数も多く、受注するタンクの仕様や設置する環境も異なるため、製品は全てオーダーメイド。そのため醸造タンクの製造工場は、各メーカーの企業秘密が集まっている。この各メーカーの秘密を実践するには、高い技術力やノウハウが必要だ。


 ウィスキーの蒸留工程で使われる「ポットスチルコンベンサー(写真)」の素材は、銅がもっとも適している。醸造過程で、味わいに必要な成分を保つ特性や殺菌性があるというのがその理由だ。銅は、他の金属に比べて熱の伝導率が高いため、溶接などの加工には適していないが、三宅製作所では高い技術で、自在に銅を加工することが可能である。


 また、特に銅製品は鉄に比べやわらかいため消耗が激しく、メンテナンスが度々必要である。適切な時期に、適切なメンテナンスを行う判断力が必要だ。自社の製品に対するフットワークの良いメンテナンス体制が、大きな強みとなっている。高い技術力ときめ細やかなアフターサービスが、各メーカーからの信頼に繋がっている。


素晴らしい群馬の高校教育と人材

 「群馬は私達の技術を活かすのに適した土地。ものづくりをするのに群馬県民の真面目な気質は合っている。また、県内には工業高校の数が多く教育も行き届いており、ものづくりのための土壌が整備されている」と三宅工場長。高崎工場の落成当時は、醸造タンクの製作の中心は大阪だったが、今では製作部門の中心が高崎工場に移っていることが、このことを証明している。


 醸造タンクの開発には、時代に応じた最先端の技術と、たたく、伸ばすという創業当時からほとんど変わっていない“鍛冶屋”の手仕事が重要となる。この2つの技術がうまく融合されていることが、三宅製作所が業界をリードしている理由となっている。


 これらの技術を若手に会得してもらうには、マンツーマンでしかもたくさんのベテランから仕事を教えてもらうことが必要だ。新入社員は2週間の導入教育の後、工場の仕事に入る。工場で仕事に携わりはじめて1年後、ようやく醸造タンク設置現場での作業に関われる。その後、いろいろな現場で仕事を覚え10年以上をかけて一人前として仕事を任されるようになる。


 一人の従業員が、ほぼすべての分野に関わるため、クライアントの要求に対して早いレスポンスが可能となり、さらには製品に対する責任感も増す。国内シェア9割を誇る理由の1つは、この徹底した従業員への教育にあるのだろう。

高崎市大八木町950(本社:大阪府)
代表取締役 三宅秀和
年 商 20億円
従業員 77名(高崎工場 54名)


技術的や経済活動で多大な地域貢献

 紹介した3社はいずれも中小企業。どの企業も「ローテク」、「町工場の延長」という言葉で自社を形容する。本社こそ大都市に置かれているが、要の生産拠点はいずれも高崎にある。年商は数十億、各社とも国内外のシェアは高く、技術面や税収、従業員の地元採用など、地域にとって大きな役割を果たしている。


 県内製造品出荷額上位の太田市や伊勢崎市でなく、高崎にこうした工場があることが、高崎の優れた産業力を改めて確信させてくれた。ものづくりにおいて恵まれた立地条件を持つ高崎。高崎から発信される卓越した技術と製品に、世界に誇る「MADE IN TAKASAKI」と刻印しよう。


(文責/菅田明則・新井重雄)

高崎商工会議所『商工たかさき』2010年5月号

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