都市集客施設「高崎パブリックセンター」

平成27年着工を目指す

都市集客施設「高崎パブリックセンター」

上信越と首都圏を結ぶ中心都市をめざす拠点施設

新しい都市文化を創造・発信するセンター

 高崎駅東口栄町地区で高崎市が進めてきた都市集客施設の建設計画が動き始めた。この都市集客施設は、高崎商工会議所の提言を盛り込んだ新高崎創造の拠点施設に位置づけられ、これからの高崎の都市づくりのカギを握っていると言っても過言ではない。

 高崎市は、4月下旬に都市集客施設基本計画を発表、また、5月初旬には群馬県も高崎競馬場跡地にコンベンション施設を建設する考えを示し、高崎駅東口エリアの開発計画をめぐる動きは急展開を見せた。これらの施設を有効に活用し高崎の都市力を上げるためのヒントを探ってみた。

群馬県と高崎市で都市集客施設の機能を分担

 4月に高崎市が発表した「都市集客施設基本計画案」には、これまで示してきた基本方針に基づき、群馬交響楽団を中心とした幅広い創造・鑑賞機能をもつ音楽ホールゾーン、会議・大規模集会・セミナー・展示会などを行うコンベンションゾーン、そして商業施設とオフィスで構成されるビジネスゾーンが盛り込まれた。昨年の8月に公表された従前の基本方針と大きく変わったのは、老朽化した中央体育館を高崎駅周辺の他の地域への移設方針が示され、都市集客施設から除外された。

 また、都市集客施設は「新しい公共」の考え方に基づき、「高崎パブリックセンター」と称し、「商都高崎」「音楽の街高崎」の歴史と精神を踏まえた高崎らしいパブリックな施設とすることが提案された。

 高崎市は「都市集客施設基本計画案」の発表後、群馬県との間で調整を行い、コンベンション機能については、群馬県の競馬場跡地利用計画に委ねることが決まった。5月17日に行われた大澤正明知事と富岡賢治市長の共同記者会見の中で、知事は、高崎の交通拠点性を高く評価し、高崎競馬場跡地に、大規模展示施設、国際会議場などを備えた施設を建設する考えを明らかにした。

 富岡市長は、高崎市の都市集客施設のコンベンション機能は計画から除外し、ビジネス活動に利用するための会議スペース等は残すものの、群馬県が計画する本格的な大規模コンベンション施設の建設に協力し、双方の施設が連携し相乗効果をもたらすことを期待した。

 高崎市が当初示した施設全体の概算事業費は400億円から460億円と試算していた。コンベンション部分が高崎市の計画から除外されるために、予算規模も縮小する。

 高崎市が策定した計画案について、発表後にこうした調整が行われたことは異例であるが、長く停滞していた高崎競馬場の跡地利用の方向性が大澤知事の英断で決まったことは、高崎の都市づくりにとって大きな前進と言える。

 高崎市の当初計画で会議場は高崎駅東口の高崎パブリックセンターで、展示イベントは問屋町と棲み分け、市内ホテルとの連携も含めた幅広い意味で、高崎全体が「コンベンションシティ」となることをめざしていた。今後の課題としては、現在問屋町の展示場の建替え計画が予定されているが、群馬県が高崎競馬場跡地に、新潟県の「朱鷺メッセ」のような複合型のコンベンション施設を建設することになったので、群馬県のコンベンション施設との連携や機能分担などを検討していく必要がある。

高崎パブリックセンターは、東西の2つのエリアに機能を分離

 群馬県との調整により変更された高崎市の都市集客施設の修正基本計画案は7月には正式に発表される見込みである。

 高崎市が当初案で示した高崎パブリックセンターの規模は、音楽ホールが2万5千㎡、コンベンションが9千㎡、商業ゾーンが2万から4万2千㎡、ビジネスゾーンが1万3千㎡で、総床面積は13万㎡から15万㎡。駐車場は、1,500台の立体駐車場が考えられている。コンベンション機能が縮小されるので、床面積は1割から2割程度は減少すると考えられる。

 高崎パブリックセンターは、東西の2つのエリアで構成され、東エリアに音楽ホールゾーンとコンベンションゾーンが、高崎駅に近い西エリアにビジネスゾーンの配置が計画されている。さらに東西のエリアを憩い、賑わいをテーマとした「交流ゾーン」でつなぐ。

 建設予定地を二分する位置にある民地は医療機関であることから、移転を求めるのではなく、その機能を積極的に活用し共存する空間形成をしていく。

 高崎パブリックセンターを東西2つのエリアで機能を分ける理由として、質の高い時間を過ごし楽しみ、クリエイティブな活動に利用される音楽ホールと、賑わいを創出し新しい消費意欲をそそる商業施設が共存しにくいことが考えられている。また、50年から100年にわたる使用を前提とする音楽ホールと、10年から15年程度で投資の回収を考える商業施設では、建築コストの差が大きいこと、音楽ホールの搬入口が1階にないと使い勝手が悪く、商業施設の上階に音楽ホールを設置した場合、使い勝手が悪くなり、機材を搬入する大型エレベータが必要になりコスト増につながるなどの問題が指摘されている。

東エリア
■創造活動の拠点となる「音楽ホールゾーン」

 音楽ホールは、上信越・北関東を代表する芸術文化センターとして、高崎の芸術文化の創造と情報発信の拠点に位置づけている。質の高い幅広いジャンルの音楽や舞台芸術の鑑賞の機会を提供し、時代を先取りした新しい音楽や舞台芸術・芸能の発信の場としていく。

 群馬交響楽団の本拠地ホールとしてクラシック音楽を中心に幅広いポピュラーコンサートに対応したメインホール、室内リサイタルや演劇、講演会など小規模イベントに対応した小ホール、創造活動をサポートする拠点としてのスタジオによって構成される。

 メインホールは1,800席から2,000席、オーケストラの演奏に対応した音響を確保するとともに、ポップス、ロックなどポピュラーコンサートにも対応した舞台機能を備える。音楽センターで不足していた搬入スペースの確保や楽屋などの施設も充実させる。小ホールは、250席から300席で、音質にも配慮し、市民コンサートなどにも使いやすい施設とする。

 メインホールと同様に重視されているのがスタジオ機能である。スタジオは4室から5室程度を備え、個人練習室、音楽レコーディングスタジオなど北関東で最高レベルの創造拠点としていく。さらに、多様なジャンルの表現活動、公演、展覧会、イベントに対応した1,000㎡程度のイベントスペースや、リハーサル室・楽屋・楽器庫・サロン・群響事務局をはじめ、音楽や舞台芸術に関連した物販サービスや高崎の音楽文化の歴史を蓄積するアーカイブ機能をもつ。

西エリア
質感の高い商業ゾーンで大きな集客力

■上信越の中心都市として機能を発揮する「ビジネスゾーン」

 都市集客施設の西エリアに予定しているビジネスゾーンは、商業施設とオフィスで構成される。

 商業施設は都市集客施設の付加価値を高め、高崎パブリックセンター及び周辺の賑わいを創出するため、大きな集客力を持つことが必要になる。群馬全域、両毛地域、埼玉県北部・新潟県南部・長野東信を睨んだ広域的で、質感の高い魅力に溢れる商業施設として、高崎に新たな人々を呼び込むことが求められる。

 高崎パブリックセンターの核店舗となることが想定されているビックカメラを中心に、高崎駅を架け橋として駅の東西が一体化し、高崎の「まちなか」全体が上信越と北関東最大の「商都」となるような、質感の高い集客力のある小売業、サービス業の誘致を計画している。

 オフィススペースは、上信越と首都圏を結ぶ業務機能の中心として、高崎経済の活性化と新たなビジネスチャンスの創出の場として、IT企業、情報産業、メディア、データセンターなどの高度な情報の集積や時代をリードする先端企業の拠点などを戦略的に誘致していく。また、高崎年金事務所、観光協会、国際交流協会、大学や経済団体の関連施設の入居を促進してく。

高崎駅西口

■総合スポーツセンターとして集客が期待される新体育館

 都市集客施設と切り離され、高崎駅西口に計画される体育館も、高崎市にとって重要な都市集客施設となる。建設予定地は、高崎駅から徒歩圏内のニップン跡地が有力候補との新聞報道もあるが、現在、最適な建設用地の選定を進めている。富岡市長は「フロアはバスケットボールのコート4面の規模で、国際大会、全国大会ができる体育館にしたい」と考えを示している。大きな収容力をもつ体育館は多目的アリーナとしてスポーツ以外にも利用が可能となる。

 体育館を西口に移転させることは、高崎駅東西の開発バランスを考慮したものだが、高崎市浜川体育館をはじめ、前橋市の県営ぐんまアリーナなどの体育施設が、最寄り駅から遠いことを考えれば、この新体育館の立地は県内では群を抜く。

 体育館は、基本計画案を策定する過程で、音楽ホールと催事が重なった場合の周辺交通量の懸念、敷地面積から考えると中途半端な施設になる恐れがあることなどから、他の適地に建設することが望ましいと考えられた。

 また現在の中央体育館は、都市集客施設の建設予定地内に含まれており、同じ施設に含めた場合、解体から竣工までの期間は、中央体育館の利用ができなくなる。現在の中央体育館を使いながら、新体育館建設を先行させれば、利用者にとっても大きなメリットになる。

■高崎駅東西を一体化した「まちなか」交流

 高崎駅東口エリアの高崎パブリックセンターの建設計画に並行して、高崎市では高崎駅西口エリアの活性化にも取組んでいる。

 かつて詩や音楽や文化活動の拠点として親しまれた名曲喫茶「あすなろ」の復活、ストリートや飲食店での「まちなか音楽活動」の推進、まちなかの回遊性を自転車利用で高めるコミュニティ・サイクルの設置。オープンカフェの設置、親水公園として整備された烏川護岸を新しい高崎のスポットとして活用する事業等に取組んでいる。

 さらに、中心市街地に、学生、高齢者、外国人研究者らの住宅や、居宅介護サービス施設などを備えた「多機能型ビル」の整備も計画している。

 このような高崎駅西口の「まちなか」の新しい試みと、高崎駅東口の高崎パブリックセンターへの新しい集客を交流させ、高崎駅東西が一体化して商都となるよう方策を検討・展開している。

■課題は、高崎の交流拠点性再構築のための連携関係の強化

 高崎パブリックセンター、新体育館、そして群馬県のコンベンション施設が、高崎への集客力を増大させ、高崎が文化都市、商都、コンベンション都市として、将来にわたって持続的な成長をするには、高崎という都市に共感が寄せられることが重要である。

 共感が生まれれば高崎を取り囲む地域との繋がりが深まり、人々が高崎に集まってくる。こうした関係づくりが施設よりも重要であり、各地域との連携、協調のうえに高崎パブリックセンター、新体育館、県のコンベンション施設の果たす役割を捉える必要がある。

 そのためには高崎が本来もっていた上信越、群馬県、西毛地域の交流拠点として歩んできた歴史を振り返り、高崎が人々の都となるように高崎と関わりのある地域との連携を再構築していくことが必要である。

インタビュー
都市集客施設と高崎の可能性

高崎商工会議所小売部会長
根岸 良司 氏

音楽ホールは豊かさを深める装置
コンベンションだけでなく、高崎には音楽やスポーツも含めて都市集客のハコモノが不足していると感じている。高崎のように交通が便利な場所で、学会を開催できないかという声を耳にすることも多い。高崎には超広域から集客する、日本屈指の施設があってもいい。

 高崎市が発表した都市集客施設の計画案では、商業・ビジネスゾーン、音楽ホールゾーンが別エリアで考えられていることはとても評価できる。商業・コンベンション施設は「豊かさを追う」働き、音楽ホールは「豊かさを深める」働きを持っており、大きな違いがある。建築物としても、音楽ホールは太い柱で端正な意匠がふさわしく、商業施設はカラフルで賃料なども考慮した設計が求められるだろう。同居させることは難しい。

 金沢市や長岡市などは、駅を降りて目に映る街並みが、都市デザインの明確な意図を感じさせる。メインストリートやシンボルとなる建築物が都市の個性やまちづくりの考え方を、はっきりと伝えている。高崎市の都市集客施設も、東口のペデストリアンデッキから見え、都市の考えを可視化しないと心理的な距離感が生じてしまう。県が競馬場跡地にコンベンション施設を計画したが、競馬場跡地は高崎駅に近いものの、見える範囲になく、市民の意識としては「郊外」になっているのではないだろうか。

 新しい音楽ホールは、「音楽専用」にしてもいい。音楽専用ホールにすれば、高崎の文化を深める意味が明確になる。また新しい音楽ホールはドレスアップして行くのにふさわしい雰囲気にして欲しい。非日常を演出し、「晴れの日」にふさわしいホールにしていく必要がある。音楽ホールを「豊かさを深める装置」として明確に位置づけることが重要だと考える。

 新潟市では市内で開催されるコンベンションや学会の日程や参加者数の予定表が周辺の商業者に配られ、土産や物産を扱う店舗の売上に貢献している。高崎の都市集客施設もまちの商業者のビジネスチャンスを広げ、売上を伸ばすよう知恵を出し合っていくことが成否のカギになるだろう。

高崎経済大学地域政策学部准教授
友岡 邦之 氏
文化ホールが人を育て、まちの魅力をつくる

 他の都市には無い、高崎の個性的な文化資源は群馬交響楽団と言えるでしょう。群響は、市民、県民が育てた財産であり、群響を生かしながら文化を育てることが高崎の個性になる。音楽センターは、群響を生かすために「ときの高崎市民」が建設し、歴史的に大きな価値を持っている。音楽センターは群響を生かすための限界が指摘され、新しい価値創造の議論が必要だ。この問題は確かに悩ましく、群響を高崎市民が生かしていくための議論が長く後回しにされてきたと感じている。

 高崎経済大学も50年前に高崎市民に作っていただき、市民の声に応えて働きたいと考えているが、50年間、そしてこれからも当時と同じ施設で運営されるなら、学生も教官も集まらない。群響も同じで、50年前の施設を使い続けることを強いることは厳しいのではないだろうか。音楽ホールの世界標準もレベルが上がり、音楽を表現する立場、音楽家の視点から、音楽センターの原点に立ち戻って議論していくことも大切だ。

 高崎市には多くの文化ホールがあり、県内のホールとの間でもパイを奪いあう現実の中で、あえて新しいホールを建設する意味を文化施策として明確に打ち出さないと市民の理解が得られない。群響のコンサートに出かける人は限られているかもしれないが、高崎市のシンボルとしての役割は大きい。美術館に行く人はわずかでも、美術館を否定する人はまれだ。音楽ホールや群響も同様に考えたらどうだろうか。多様な文化を育て、発信していくことが大切だ。

 新ホールでは、群響のリハーサルなども公開し、音楽の職人としてのレベルの高さを多くの人に知ってもらうのも一つの方法だ。芸術家は身近でかつ、すごいという実感を、新ホールを拠点に作り出していけないだろうか。音楽だけでなく、画家やデザイナーなど身近にあるすごさを開拓することが文化政策だと思う。芸術が地域社会で生み出す経済効果、高崎の集客力や魅力と連動させて仕掛けていく意味は大きい。

ぐんま観光特使・高崎経済大学講師
日本ホテル (株)常勤監査役
佐藤 勉 氏
21世紀のシルクロードは新幹線

 私は10年ほど前にJR東日本高崎支社長をつとめ、高崎、群馬の魅力に取り憑かれた。高崎を「とかいなか=都会・田舎」と表現し、東京100kmの立地を生かした都市づくりや観光開発に役立ちたいと考えている。せわしい東京から群馬に来ると、空気がゆっくり流れていて心が癒される。東京、首都圏からの近さがカギになると思う。

 高崎の都市集客は、アジア、北関東、近隣市町村、高崎駅東西と、視点を変えながら考えていくことが大切だと思う。

 まず、高崎と前橋、どちらが勝った負けたという時代ではなく、北関東の拠点エリアとして、ともに歩むべきだと感じている。高崎線の開通が明治17年(1884)、両毛線の開通もその翌年で、絹を輸送し日本の近代化を支える重要な鉄路だった。両毛線は競馬、競輪、オートレース、競艇を結ぶギャンブルラインでもあった。流通では、ヤマダ電機、ビックカメラ、ベイシア、ケーズデンキと、北関東を制するものは全国を制するとも言われている。北関東と言いながらも、現実に移動する人の数は、首都圏間の輸送が圧倒的に多いので、見落としてはならないと思う。

 都市集客では、大きくはアジアから高崎に人を呼び込む発想が必要だ。高崎は日本の中心にあり、太平洋側、日本海側どちらからでも入って来られる。高崎を世界から群馬に迎える玄関口として位置づけ、将来性のある国々を招いて高崎を知ってもらうことが重要だ。そのために、高崎には群馬の全てがわかるような窓口機能、情報集積が求められる。今の高崎、群馬で海外から人を迎える土壌は十分とは言えないが、JR、航空会社、旅行エージェントと協力して進めていかなければならない。

 旅は、交流、文化、経済、健康、教育の要素で構成され、群馬、高崎には全て揃っており、地球と時間をかけめぐることができる。かつて鉄路が絹を運んだが、これからは新幹線がシルクロードとなり、アジアから高崎に人々を運んでくることになるだろう。

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