みんなが知りたい工場のなか

〜やっぱり高崎はすごかった〜

みんなが知りたい工場のなか

 道路を走っていて看板が目に入り、社名はいつも見ているのに、中で何を作っているのかわからない工場がある。古くから高崎にあって社名は誰でも知っているのに、あらためて考えると、どんな会社なのかわかっていなかったということもある。

 今回の特集は、そんな「知っているけど知らない工場」をテーマに、「普段のモヤっとした思いをスッキリさせたい」と意気込み、失礼を承知で取材に飛び込んだ。取材させていただいた工場は、協和発酵キリン㈱、太陽誘電㈱、FDKトワイセル㈱、日本化薬㈱の4社。やや奥まった立地の協和発酵キリンを除けば、いつも看板を目にしている工場だ。

 各社ともに、並はずれた技術と世界マーケットを持ち、高崎のみならず、日本のリーディングカンパニーとして業界を牽引している。地域貢献にも力を入れ、企業の力を市民や子どもたちのために使っていることも大きなポイントだ。

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世界に誇るバイオ技術

協和発酵キリン株式会社 高崎工場
バイオ生産技術研究所
高崎のもう一つのキリン

 2000年8月に宮原町のキリンビール高崎工場が閉鎖され、高崎から「キリン」が消えてしまったという印象が強いが、萩原町に、もう一つの「キリン」工場が残っている。しかも、その「キリン」は従業員数、生産高とも、かつてのビール工場を上回っているという。

 1980年代に、多角化をめざしていたキリンビール株式会社がビールの発酵技術を応用したバイオテクノロジーで医薬品分野への進出を計画した。その最前線として高崎市萩原町に医薬事業の製造・物流拠点を建設し、1990年に高崎医薬工場として操業を開始した。その後、この工場は「キリンファーマ株式会社高崎医薬工場」となり、2008年に協和発酵工業株式会社と合併、「協和発酵キリン高崎工場」として、隣接するバイオ生産技術研究所とともに最先端のバイオ医薬品の研究、生産を継続している。

みんなが知りたい工場のなか国内最大級の1万リットルの培養タンク

世界屈指のバイオ医薬品拠点として

高崎に機能集約
 高崎工場で生産されている医薬品は、医療機関で使用され、ドラッグストア等で目にすることはないので製品名そのものは消費者に知られていないが、人工透析やがん治療など高度医療に貢献している。生産している医薬品は遺伝子組み換え技術が応用されたバイオ医薬品である。工場には国内最大級の1万リットルの培養施設があり、特許技術をはじめ他社に真似のできないバイオノウハウが蓄積されている。環境に配慮した製造過程も、高崎工場自慢の技術力だ。

 医薬品分野における協和発酵キリンは、貧血治療薬「ネスプ」を主力にアジアへも輸出している。中島祥八工場長は「日本発グローバルスペシャリティファーマをめざしたい」という。今後、協和発酵キリンはバイオ医薬品メーカーとしてグローバルに成長することを目標としてバイオ医薬品製造の重要拠点である高崎工場へ新たな製造設備を建設する予定である。現在は、研究所と工場で従業員約400人の体制だが、今回の製造設備の建設により500人程度に増員されるという。医薬品工場の事業規模はかつてのビール工場時代を大きく上回っている。

みんなが知りたい工場のなか中島工場長

地域への変わらぬ思い

 協和発酵キリングループでは、地域社会の人々との交流を重視した活動を通じて、社会との関わりを深めていきたいと考えている。高崎工場では、環境保全活動を毎月行っており、具体的には高崎市中心市街地、観音山、工場周辺の清掃活動を実施している。また、水資源を守るため倉渕町わらび平で「協和発酵キリン高崎水源の森づくり活動」を行い、長期的な森林保全活動にも取り組んでいる。子どもサッカー教室、夏休み子ども科学教室も好評で、今年は長い歴史を持つ同社卓球部の選手による卓球教室を新たに計画している。

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世界シェア3位の技術力

太陽誘電株式会社
「誘電」って何?

 高崎駅東口の江木工場の上に立つ「太陽誘電」の看板で、高崎市民なら誰でも知る太陽誘電。日本のトップチームとして活躍するソフトボール部も高崎市民の誇りだ。「That's」ブランドを知る人は「カセットテープやCD―Rのメーカー」と思い浮かぶかもしれない。

 太陽誘電の創立者、佐藤彦八氏は榛名町出身で、独創的で豪放磊落、傑出した人物として語り継がれている。佐藤氏は戦前からセラミック素材の研究に取り組み、1950年に太陽誘電株式会社を設立、高性能なセラミックコンデンサの開発と量産化に成功した。「誘電」とはセラミックコンデンサに関わる技術用語で、太陽誘電は創業以来60余年にわたってこのコンデンサを作り続けている。

 佐藤彦八氏が創業した太陽誘電は町工場から出発し、アジア、北米、ヨーロッパに展開するグローバル企業に成長。積層セラミックコンデンサの生産量は世界合計で年間2兆個。太陽誘電は世界シェア第3位を誇る。同社の製品は、電子部品として欠かせず、パソコンやテレビ、携帯電話にもメーカーを問わず使われているそうだ。携帯電話には数百個、テレビには約1,000個のコンデンサが使われており、太陽誘電の製品は実は身近にたくさんあるようだ。

みんなが知りたい工場のなか製品開発の要となる材料を開発する

熾烈な技術競争に打ち勝つ

 太陽誘電は、業界の最先端を走り続けてきた。太陽誘電R&Dセンター(開発研究所)の岸弘志所長は「材料から製品まで一貫した研究開発、生産体制が太陽誘電を支えている」と技術力を誇る。アジアの工場などで厳しいコスト競争に対応する一方、最先端製品は国内、とりわけ高崎を中心とする県内工場で生産されている。県内の従業員数は約3,000人で、地域雇用にも大きく貢献している。

 電子機器の小型化、高集積化により、小型化と大容量化が国際市場で生き残るカギになっている。スマートフォンで使われているコンデンサは、シャープペンシルの芯先よりも小さい。ミクロン単位の技術を研究開発するとともに、高品質な生産ラインを構築している。

 電子機器メーカー、家電メーカーなどはさらに高集積な製品開発を行っており、太陽誘電は、供給先の将来計画を見込んだ超小型コンデンサの研究を続けている。「競争から脱落することはできない。常に最先端に位置づけられるよう努力している」と岸所長は語る。現在、最小の製品が0.4ミリ×0.2ミリだが、今後の国際市場での競争に負けないため、さらに小型の製品を開発している。この製品の中に100以上の特許技術が詰まっている。

 榛名の森に建つR&DセンターはNASAをモデルに設計され、日夜、研究開発に明け暮れる研究者に、豊かな自然環境が発想とやすらぎを与えてくれるそうだ。

みんなが知りたい工場のなか岸所長

地域とのつながりが大切

 太陽誘電は、高崎市の科学教室に協力したり、市内小学生の施設見学も受け入れている。見学に訪れた子どもたちは最先端技術に驚きの声を上げ、目を丸くしている。高崎まつりや榛名まつりに神輿を出し、地域とのつながりを大切にしているのも太陽誘電の企業理念だ。

 産学官連携として、同社を会場に北関東産官学研究会主催によるビジネスマッチング事業を開き、地域企業とのコラボレーションをめざしている。「昨年はお互いに応用できる技術があり好評だった。今年も開催したい」と岸所長。地域でのモノづくり連携の成果にも大いに期待したい。

 R&Dセンター内の佐藤彦八記念館は、高崎城の天守閣を移設したと伝えられる歴史的建造物で、事前に申し込めば誰でも見学できる。

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世界最大規模の電池工場

FDKトワイセル株式会社
いったいどこのメーカーなの

 高崎渋川バイパスから見える大きな工場建屋に「エネループ」の文字。「以前は東芝の電池工場だったよね?」「エネループは三洋だったからパナソニック?」と、通るたびに何だろうと疑問符が頭をよぎる。この建物はFDKトワイセル株式会社。現在は富士通系列・FDKグループの傘下に入っているが高崎での歴史は長い。1966年に東芝の乾電池工場として操業し、2001年に三洋電機の資本系列、2010年にFDKの資本系列になり、親資本は大きく変わっているものの、従業員も含め本社工場がそのまま独立して移行している不思議な会社だ。製造品も電池で大きな変化はない。言い方を変えれば、看板が変わっているだけだ。この工場には、メーカーが欲しがる卓越した技術が蓄積している。

 塚田正純社長は「異なる企業文化を経験した。当社は変化をチャンスととらえる対応力や親和性を持っている。上州人はまとまりがいい」と語る。社員は600人で地元雇用が多いが、技術部門などでは東芝時代からの社員や、三洋時代に異動してそのままここに残った社員など複雑な経緯を反映し、関西人も100人ほどいるそうだ。

みんなが知りたい工場のなか工場内では様々な製品を製造している

世界最大規模の電池工場

 FDKトワイセルは、世界最大規模の電池工場で、ニッケル水素電池の世界シェアは25%を握っている。生産量は年間2億個。約4割がニッケル水素電池で、充電して使える「エネループ」は大ヒット商品となった。現在パナソニックブランドとなっているが、同社が100%生産している。他にシェーバー、軍用や消防のトランシーバーなどに使われる電池を生産し、OEM供給も多い。販売先の7割は海外で、毎月数組のお客様が海外から高崎を訪れて来るそうだ。同社はアメリカ・テキサスとドイツに現地拠点を持ち、テレビ会議を開く場合、時差が大きくて苦労しているという。

 会社を支えるベースは、なんと言っても技術力。ニッケル水素電池では他に負けない。技術開発で、電池の電気容量を2.5倍、充電放電の繰り返し回数を300回から1,800回に高め、高崎の技術が世界の電池を牽引している。

 生産を海外移転して、コストダウンをはかる考えはない。「生産性を上げてアジアとの賃金格差を解決したい。来年には中国よりも安い単価で生産できるようになるだろう。もうひとがんばりだ」と力を込める。同社の製品をコピーして生産しても「私たちの技術は世界のトップ。真似をしても当社製品の5、6割程度の性能しか出せないだろう。作り方を教えても当社と同じものはできない」と自信を持っている。この工場でしかできないノウハウがあるという。塚田社長は「日本のものづくりを、高崎のこの場所で続けていくことが目標だ」と語る。

みんなが知りたい工場のなか塚田社長

企業連携や環境取り組も

 同じ大八木工業団地内の企業との連携や清掃活動、中学校、高専、大学の職場実習の受け入れも行い、地域貢献に取り組んでおり、高崎まつりのエコステーションにも協力している。

 近隣の中川小、浜尻小では親子ふれあい授業を行い、電池のリサイクルや科学実験を楽しく学んでもらっている。クイズや実験が参加者に好評で、人が手をつないで通電する実験には驚きの声をあげる。工場屋上にはソーラーパネル576枚、120キロワットの太陽光発電を設置し、省電力に取り組んでいる。

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国内最多種の抗ガン剤を製造

日本化薬株式会社 高崎工場
火薬ではなく化薬

 群馬の森の南側に敷地が広がる日本化薬㈱高崎工場。敷地は56万㎡、東京ドームの12倍の広さで、緑に囲まれた工場だ。「戦争中は陸軍が火薬を作っていたんだよね」と、市民に有名な所だ。明治から終戦まで、陸軍の火薬製造所があり、日本で初めてダイナマイトが製造されたと歴史に刻まれる。戦後、民間に払い下げられ日本化薬㈱高崎工場となった。

みんなが知りたい工場のなか最新の封じ込め技術と設備により、作業環境と作業者の安全を守っている

 日本化薬の前身は1916年に創業した「日本火薬製造株式会社」で創立96年の歴史がある。同社は戦後も炭坑などで使用する産業用火薬を製造していたことから、今でも、この工場で火薬を作っていると思っている市民もいるかもしれないが、現在は医薬品工場となっている。誤解を受けることも多いらしく「火薬ではなく化薬です」と小泉工場長は笑顔で語る。

 日本化薬の事業はエレクトロニクス産業に使われる樹脂など機能化学品、医薬、自動車の安全性を支えるエアバッグ用技術などセイフティシステムズ、農業用薬剤などアグロ事業を展開し、高崎工場は医薬分野の中核を担う。エアバッグを瞬時に膨らませる技術には同社の火薬技術が活かされているそうだ。

みんなが知りたい工場のなか小泉工場長

抗ガン剤を世界に出荷

 日本化薬の医薬品は、当初ペニシリンなど抗生物質でスタートした。日本化薬の「バリオチン」という水虫薬を年輩の人は記憶されているかもしれない。現在、高崎工場は最先端の発酵技術、合成技術、製剤技術で抗がん剤を中心に医薬品を製造するハイテク工場となっている。4階建ての高さで容量100トンの発酵タンク4基を備え、製造品目は40種類を超える。「抗ガン剤では、国内で最も種類が多い」と小泉工場長は言う。

 高崎工場は、効率的で汎用性の高い製造ライン、高度な環境汚染防止システムなどハザード対策、欧米の厳しい基準にも対応した生産システムを誇る。「生命関連産業として不断の進歩が必要」と社員教育にも力を入れている。早くから輸出を行い、欧米から品質管理の監査員が毎月のように訪れているそうだ。高崎の立地は物流に有利で輸出にも全く支障はない。同社の製品は搬送もデリケートで、空輸で海外に送られている。

 商工たかさきでは、生産拠点を高崎に構え、全国展開、世界展開する企業をこれまでも数多く取材してきた。ナショナルブランドや高崎密着の企業など、多彩な顔ぶれは高崎の産業力の高さを実感させる。国内はもとより世界市場へ打って出る立地として高崎が優れていることも示された。雇用にとどまらず、ものづくりによる地域への影響力、波及効果も大きい。

 今回の特集では、バイオやエレクトロニクス分野で世界的な競争力を誇る高崎の力が浮き彫りとなり、またあわせて高崎の産業史の中に刻まれた企業の足跡も忘れてはならないことを実感させた。読後に「やっぱり高崎はすごかった」と、高崎の力を再確認してもらえるのではないだろうか。

『商工たかさき』2012年9月号

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