自動車パーツの世界ブランドが高崎に

 自動車購入後、機能アップのために取り付けるオプションパーツは「アフターパーツ」と呼ばれ、ヘッドライト、フォグランプなどの照明、スキーキャリア、サスペンションやマフラーなどがある。

 高崎は、世界に名高いアフターパーツのブランドを生み出しており、ライトのIPF(アイピーエフ)、キャリアのTERZO(テルッツオ)、サスペンションのCUSCO(クスコ)などが名を連ねている。世界的に支持を受ける魅力は、卓越した性能とデザイン。ブランド力は絶大で、まさにメイドイン高崎が世界を走っていると言えそうだ。

 TERZOはPIAA(ピア)系のブランドで、PIAAとIPFは自動車ライトの分野でシェアを争う双璧、ライバル関係だ。2大ライバルブランドが同じ高崎市内にあることは業界ではよく知られており高崎の技術力を物語っている。今回の特集では、IPF株式会社とTERZOを製造している株式会社阪東工業を取材した。

自動車パーツの世界ブランドが高崎にIPF株式会社

IPF株式会社

■ブランドはユーザーのステータス

 4WDやアウトドア派など、チューンアップした乗用車にパーツメーカーのステッカーなどを大きく貼って走っているのを見かける。1970年代から80年代、この戦略のさきがけとして積極的に市場に自社ブランドを浸透させたのがIPFだった。

自動車パーツの世界ブランドが高崎に市川松男社長

 ダート(悪路)を駆け抜けるラリー車に連なって装着されたIPFの競技用ランプは精悍で、車両に貼られた「IPF」のロゴは、モータースポーツファンの気持ちをわしづかみにした。高性能で耐久力が高いIPFのランプを自分の車に装着することがユーザーの自慢であり、ロゴステッカーを貼りたくて製品を購入する人もいたほどだ。

 IPF株式会社は、戦後、和田多中町で故・市川喜代松氏が創業した、鍋や釜を作る町工場だった。その後市川プレス工業株式会社に法人化し、朝鮮戦争による国内景気の高揚にあわせて自動車部品を受注するようになった。職人気質の喜代松氏は自動車のアフターパーツを作って販売し、その中の一つが自動車ランプだった。「今思えばランプもどきで、高崎市内にはそうした町工場がたくさんあったようだ」と市川松男社長は笑って語る。

 喜代松氏を支えたのが息子である悟・松男兄弟で、昨年まで兄の悟氏が社長をつとめ、現在は会長となり、弟松男氏が社長に就いている。

■チャンスを見逃さない先見性

 悟会長は20代の頃、新しいビジネスのヒントを求めてアメリカを訪れ、技術者団体〝SAE〟のメンバーと交流し人脈を広げた。英語が話せるわけではなかったが、怖じけずに飛び込んでいくのがIPFの流儀だ。その際、高い技術力が必要なSAE規格のランプを作る企業がアジア圏に無いことに気付き、「これはいけそうだ」と直感したそうだ。

 帰国後、開発に着手したが失敗の連続で、当時、開発の中心になっていた松男社長は「1年たってもできない。2年かけてもできるのかわからず、全く先が見えなかった」と振り返る。挫折しそうになった時、父の喜代松氏が「お前たちなら必ずできる」と技術者を鼓舞してくれたという。「IPFの原点はここにある。このときに開発型企業IPFが芽生えた」と松男社長は言葉に力を込めた。

 開発による大赤字を抱えながらも製品化にこぎつけ、アメリカ市場にOEM製品として投入した。競合がいないことも手伝って大ヒットしヨーロッパにも進出、月産20万個の勢いでアメリカ国内シェア1位も経験し、自社ブランド確立への礎ができた。

自動車パーツの世界ブランドが高崎にジウジアーロ氏デザインのランプ

■ブランド化に巨額投資

 この経験で市川プレス工業は「世界一のランプを作れる技術」を持ち、下請けを脱皮する体力をつけた。しかし技術だけでは売れない。お客様に求められる企業ブランドを確立する戦略として全日本&世界ラリー選手権(WRC)に参戦し、グランドチャンピオンになるなどの活躍を残した。ラリーカーのボディに描かれたIPFのロゴが大きく世界に知れ渡った。スポンサーとして使った費用は年間に1億円。また日本車を代表する傑作として名高い「いすゞ117クーペ」の設計者として知られる世界的なカーデザイナー、ジウジアーロ氏にデザインを依頼したランプも発表した。「アイピーエフ」は、口に出して言いやすく、既に海外顧客からは市川プレスファクトリーの略称としてIPFと呼ばれていた。語感から日本国籍の企業とは思われず、グローバル展開にふさわしいブランド名だった。

 ラリーで培ったノウハウを製品にフィードバックし性能を向上させた。「海外との取引を身軽にこなしてきたのが業績を伸ばした一因」と松男社長は言う。四輪駆動のRV車やチューンアップブームの追い風も受け、IPFはブランド化に見事に成功し、1990年に社名を「IPF株式会社」に変更した。

■豪州市場を主軸に海外展開

 バブル崩壊でそれまでの努力が水泡に帰すような苦労もあった。また国内では外付けの前照灯の保安基準が改正され、製品ラインアップも変わってきている。カーショップへの直販など販路の開拓や、自動車メーカーへのOEM供給、アジア、オセアニア地域への展開もはかってきた。高崎電化工業所との合弁で1989年に開設したフィリピン工場は、松男社長が立ち上げの陣頭指揮を執っている。

 現在、海外の主力はオーストラリアで、世界一高価で高性能な北米豪州仕様のオフロードモデルを投入している。

自動車パーツの世界ブランドが高崎にIPF製品

■IPFブランドは開発力の結晶

 「失敗したことも山ほどあるが、チャレンジャーを育てる企業力が基盤になっていると、社長になって、つくづく思った。規模の拡大ではなく付加価値中心の経営が重要」と松男社長は感慨深く語る。

 喜代松氏が、本業以外への投資を嫌い、製品開発に力を注いだことがIPFの原動力となった。「若い世代はクルマへの興味が薄れ、国内市場の縮小は否めない。海外市場を成長させるにはスピーディーな開発が不可欠となるだろう」とIPFは考えている。グローバルな舞台で活躍できる人材の確保、育成も経営課題だ。

自動車パーツの世界ブランドが高崎に車パーツの展示会「東京オートサロン」でのIPF出展ブース

 ハロゲン球の製品では国内シェアナンバーワンであり、省電力のLED製品の市場も伸びている。自転車用のライトも商品化した。

 他社よりも良い製品でないと市場には出さない。IPFはお客様を落胆させない。「IPFが世界で一番だと言い切る覚悟が必要」と悟会長は言う。

 モーターショーなどへ出展するほか、本社敷地で毎年開催しているファン感謝デーを楽しみにしているお客様も多い。社員一丸となって準備を行い、昨年で11回を数えた。地元やお客様に愛され続ける企業でありたいと日々努力している。

自動車パーツの世界ブランドが高崎に板東工業株式会社

株式会社阪東工業

■高崎から世界を席巻するものづくりを

 阪東工業は、自動車パーツの総合ブランド「PIAA(ピア)」のキャリア製品「TERZO(テルッツオ)」を製造するために設立され、PIAA(TERZO)ブランドの一翼を担っている。

 阪東工業の柿本忠澄社長は、ピア社の前社長と現場時代から親交があり、信頼が厚い。当初は小さな取引から始まったが、現在、ピア社のキャリア生産の大半は、阪東工業が手がけている。なお、PIAAブランドの製品は藤岡工場で製造されており、群馬はピア社の製造拠点となっている。

自動車パーツの世界ブランドが高崎に柿本忠澄社長

 ピア株式会社は、アフターパーツ分野に特化したグローバルブランドを持つ。「PIAA」は照明部品、「TERZO」はキャリアのブランド名で、ピア社の2大看板となっている。

 柿本社長は、高崎での生産にこだわりを持っており、高崎市を中心に部品の9割は県内で調達している。鉄、プラスチック、ダイキャストなどの材料加工、メッキなどの表面処理、組み立てといった広範な技術が高崎市に蓄積しており、「TERZO」ブランドのキャリアは、まさにメイドイン高崎と言える。

 「高崎で生産したTERZO製品で世界を席巻したいという思いを持っていた」と柿本社長は語る。

■高速走行しても安全なキャリア

 最初のキャリアは、マリンスポーツのウィンドサーフィンから出発したそうだ。その後、ブームに乗ってスキーキャリアがヒットし、現在は、自転車キャリアに力を入れている。そうした背景もあり、阪東工業とピア社は先般開催された榛名山ヒルクライムに協賛し、地域貢献にあわせて高崎発のTERZOブランドをPRした。

 サーフボードやスキー、自転車を車の天井に乗せ、高速道でリゾート地まで走行するわけだが、風圧による負荷を想像しただけでも、安全性に関する品質水準の高さがうかがえる。

 キャリアは購入したお客様が自分で自動車に取り付けるため、取り付けの手順は簡単なほど良い。またスキーや自転車をキャリアに固定する方法も簡単でなければ使いにくい。そのうえで高速走行の風圧にびくともしない性能など、設計から製造まで高度な技術が必要だ。

■「世界最強」の戦略

重量20㎏から30㎏の自転車を車の上に乗せ、時速100キロから120キロで走行しても安全な強度と、簡単な操作性をどのように実現するか。柿本社長は「難しいものが多ければ多いほど生き残る道がある」と言う。TERZOのアピールポイントは第一に強度。「世界最強の戦略」と自信を持っている。

 TERZOのキャリアは曲線のデザインが特徴で、設計はピア社で行われるが、部品展開や改良点など阪東工業の技術者からも提案を行う。一つのキャリアは数百から千アイテムで構成されている。市販されているほぼ全ての乗用車に対応するため、取付部の形状もボディにあわせて多様となり、製品は500から600種類に及ぶ。

 「キャリアに自転車を乗せても、取りはずした状態でもかっこいいデザインが必要」と言う。

■高崎発のグローバルブランドに

自動車パーツの世界ブランドが高崎にTERZO製品

自動車パーツの世界ブランドが高崎に榛名山ヒルクライムでのTERZO紹介ブース

 PIAAはグローバル戦略として、元F1ドライバーの中嶋悟をサポートしブランド力を高めた。キャリアにおいても世界市場を視野に、TERZOのブランド戦略としてウィンドサーフィンやスキーのトップアスリートや世界大会のスポンサーとなっている。

 スキーブームの波が去り、次にキャリアに乗せる物として注目されているスポーツが自転車だ。

 榛名山ヒルクライムでは、協賛企業としてコースにフラッグを設置、PIAAグッズを参加者に配布するなどのPR活動を展開。お客様の声を直接聞くことが次のビジネスにつながると考え、会場にTERZOの紹介ブースを設けた。ピア社と阪東工業が高崎市のイベントに参加するのは今回が初めてで、柿本社長は、これを機に高崎市の知名度アップにも取り組んでいくそうだ。

 物を運ぶ道具としてキャリアの可能性とお客様ニーズを探り、付加価値の高い製品づくりをめざしていく。

 優れた技術、製品を持っていても、市場や消費者に認知され評価されなければ、売ることはできない。今回取材した2社は、商品パッケージについてもインパクトのあるデザインを工夫し、店頭で手に取ってもらえるよう知恵を絞っている。

 一流のブランドとしてグローバル展開するためには、PR戦略と開発投資も必要だ。自社の企業力にふさわしい市場を見い出す先見性と、製品を磨き上げ新しい製品を市場に投入する開発企画力も求められる。取材を通じて何よりも強く伝わってきたのは、築き上げたブランドに対する誇りだった。こうした高崎ブランドの企業を誇りとして市民へ発信していくことが、高崎の〝ものづくり〟の存在感を足元から高めていくために重要となるだろう。

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