映画のある風景

大島渚の「少年」 43年前のお濠端

志尾 睦子

映画のある風景

 今年は桜の開花が遅かった事もあり、映画祭が終わった後、桜を眺めにお濠端を歩く機会が多かった。桜の次にはツツジが美しく咲いて、散歩コースには非常にいい。かつて映画祭の事務所があった柳川町から宮元町までのお濠端をてくてく歩くのはこの時期の一つの楽しみでもある。

 さて、このお濠端で撮影された映画がある。1969年製作の大島渚監督作品『少年』だ。大島渚と言えば、松竹ヌーベルヴァーグの旗手と言われた日本映画の革命児、権力に対しての闘争心が強くそれが作品にそのまま現れて来る骨太な監督。私は『戦場のメリークリスマス』で入り、『愛のコリーダ』で真の洗礼を受けたけれども野心的でダイナミックな映画作りは時代を超えて語り継がれると感じ、衝撃を受けた作家のお一人だ。

 昭和41年に起きた、子どもを使った当たり屋示談金詐欺事件を題材にした作品で、全国を転々とした一家の道筋を再現している。多少の脚色はあるにしてもほぼ事件になぞらえているとのことで、高崎での事件が、その後の数々の詐欺発覚及び逮捕に通じたそうだ。事件場所が同じ場所だったかまではわからなかったが、映画の中で使われるシーンは宮元町からシンフォニーロードに続くお濠端だった。実は、はじめて『少年』を観た時、私は高崎で撮影されていた事に気づいてもいなかった。撮影当時は昭和44年だから、現在の形に整備される前のお濠端。今回、再見してみて、なるほど、あそこかとわかり、他のシーンでもいくつか高崎が出て来るので当時の街並をうかがい知る事が出来た。

 この作品は、一般的な映画会社の製作ではなくアートシアターギルドと言って、芸術的先鋭的な作品を製作・配給する会社で手がけられた。今で言う自主製作に近いスタイル。低予算かつ厳しい撮影条件だったのは明らかで、こうした映画製作で肝となるのは今も昔も撮影地の多大なる協力だ。全国各地で撮影されたロードムービーである『少年』にとっても、高崎での撮影は、きっと地元の方々が協力体制を惜しまなかったのだろう。映画完成後、公開に先駆けて行われた全国キャンペーン試写の出発点は、群馬音楽センターだったそうだ。この事実がすべてを物語っている気がする。

 大島監督は御年80歳、現在は自宅療養されている。もう少し早く知っていれば。今回そう思った。偉大なる映画監督の名作を、監督をお呼びしながら群馬音楽センターで、当時の話をお聞きしつつ上映したかった。残念。

志尾 睦子(しお むつこ)
群馬県立女子大学在学中にボランティアスタッフとして高崎映画祭の活動に参加。群馬県内初のミニシアター「シネマテークたかさき」の総支配人を務めると同時に、日本を代表する映画祭である高崎映画祭総合プロデューサーとして活躍。

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