映画のある風景

ここに映写技師あり

志尾 睦子

映画のある風景

 秋は高崎音楽祭の季節。昨年に引き続き、群馬音楽センターで『ここに泉あり』の上映をさせていただいた。

 以前、群馬音楽センターの映写機が全国的に見てもとても古く貴重なものだと記した。貴重であるだけに、その映写機を使いたいと言っても簡単には頷いてもらえない。あまりにも老朽化しているため、単に技術のレベルを超えたトラブルが起こることもあるからだ。もう使えないと思ってくださいと言われた事もある。それが、今回こうして実現できているのは一重に一人の映写技師の存在がある。その方がいてくださるならこの古い映写機を稼働しましょうと、言ってもらえる。

 会館側から全幅の信頼を寄せられている人、それが、小田橋淳夫さん。今年70歳の現役の映写技師、シネマテークたかさきが開館したときから、完全なるボランティアで映画館の上映を日々支えていただいている。小田橋さんは、何を隠そう音楽センターの映写機のかつての相棒なのだ。

 私が小田橋さんに初めてお会いしたのは13年前、高崎映画祭のスタッフになった最初の年だった。初年度私は映写班を希望し毎日高崎市文化会館の映写室にいた。映画祭が始まって数日後、確か平日の昼間だった。試写中にトラブルが発生した。『小田橋さん呼んできて!』といわれた。これが私の映写班としての初仕事だった。え、誰それ、と思っていると『図書館にいるから!早く!』と畳み掛けられた。訳もわからず隣接の図書館に走った。出てきたのは、紺色のスーツを身にまとったスマートな白髪の紳士。それが小田橋さんとの最初の出会いだった。あらあら、というふうに笑って小田橋さんは小走りに映写室へ向かってくれた。

 かつて連雀町にあった映画館銀星座の映写技師だった小田橋さんは、群馬音楽センターが出来た時に映写や舞台周り全般の専門技師として市の職員になった。市の職員だから異動もあって私が出会った時は図書館にいらした。公共施設の映写機材は全部熟知していて、高崎映画祭が始まった頃からの映写の守り神。一方で映画のポスター、雑誌をはじめとするものすごい資料収集家でもある。温和で穏やかで控えめな紳士は、知る人ぞ知る高崎の映画上映を守り抜いてきた映写技師なのである。

 音楽センターの映写室でフィルムを扱う小田橋さんはいつにも増してかっこ良かった。そして、熟練の手によって上機嫌に動き出す映写機がいつにも増して猛々しく見え、物に宿る魂に肌で触れた気がした。

志尾 睦子(しお むつこ)
群馬県立女子大学在学中にボランティアスタッフとして高崎映画祭の活動に参加。群馬県内初のミニシアター「シネマテークたかさき」の総支配人を務めると同時に、日本を代表する映画祭である高崎映画祭総合プロデューサーとして活躍。

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