映画のある風景

名監督と名店と

志尾 睦子

映画のある風景

 今年も残すところわずかとなった。振り返ると、寂しさを感じる訃報が多く届いた一年だった。テオ・アンゲロプロス監督やトニー・スコット監督の訃報に衝撃を受け、重鎮・新藤兼人監督の大往生を受け止めた。日本映画界を支えてきた名役者も多くこの世を去った。記憶に新しいのが豊田屋さんと縁もある森光子さん。大往生もあれば、まだまだご活躍を見続けていたかったと思う方も少なくない。

 中でも、親交のあった若松孝二監督の訃報はあまりにもショックだった。鬼才で気難しい一面もあれど義理人情に厚い素敵な方だった。初めてお会いしたのが『実録・連合赤軍あさま山荘への道程』上映の際。この地での上映に一段と想いを込めていらした。綿密な取材と調査のもとで描き出した作品であるだけに、今この地で生きる人たちの想いに報えるだけの〈ちゃんとしたものを作った〉という若松さんの言葉が今も思い出される。それ以来、作品が出来ると来てくださった。可能な限り全国の上映劇場に足を運ぶ方だったから、お越しいただくのはいつも過密スケジュールの合間を縫って。『お連れしたいお店があるんですよ。』と繰り返したその約束がついぞ果たせなかった。とはいえ、そのお店自体が、若松さんが逝かれるひと月前ほどに閉じる事になってしまったのだが…。

 高崎合同庁舎の裏手、上和田町の居酒屋・輪屋。ご夫婦で営まれていた小さくて温かいお店。県内で最も多くの映画人が訪れた場所なんじゃないかと思う。駅から少し距離があるから、時間のある方しかご案内できないこともあるが、私たちにとっても大事なお店だから厳選した人しか連れて行かなかった。そんな中でも、高崎映画祭に始まり、シネマテークたかさきに至るまでの長い歴史を考えれば、訪れた映画人、関係者は数知れない。

 マスターはご自身でワカサギをつり、キノコを取り、温泉水を汲み上げ、ママさんと二人で季節の食材をふんだんに使った素朴な料理を出してくれた。誰をお連れしても、家族の友人を迎えるように温かいもてなしだった。そのマスターが9月の初めに亡くなってしまった。映画談義に花が咲いたあの場所にもう誰もお連れできないなんて。そのショックも覚めやらない間に、連れて行きたかった若松孝二までもが逝ってしまうとは。数々お連れした映画人たちの落胆の顔が浮かぶ、名店の灯が消える。それでも、語り継がれるだけの記憶がしっかり残っている事が唯一の救いだろうか。

志尾 睦子(しお むつこ)
群馬県立女子大学在学中にボランティアスタッフとして高崎映画祭の活動に参加。群馬県内初のミニシアター「シネマテークたかさき」の総支配人を務めると同時に、日本を代表する映画祭である高崎映画祭総合プロデューサーとして活躍。

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