高崎新風土記「私の心の風景」

桑畑の風景

吉永哲郎

高崎新風土記「私の心の風景」

 一八八九年のパリ万国博覧会に、境町島村の田島弥平さんが蚕種を出品し、見事銀賞を受賞したことはよく知られています。丁度その頃、フランスの織物都市リヨン近くの養蚕農家に、蚕の流行病が襲い、これが引き金となって、フランスの養蚕は衰退しました。百数十年前のことです。それから日本の一・五倍もあるフランス国土から、桑畑は無くなり、わずかに、ファーブルが親しんでいたアビニオン郊外の畑の境に数本の桑の高木が残っているだけといわれています。

 この数年、世界遺産として県内の養蚕関係のことが注目されるようになりました。その遺産の一つとして桑畑の風景を忘れてはいけないと思います。養蚕農家の減少や、道路拡張、宅地造成などによって、つい先頃まで見慣れていた桑畑の風景が急激になくなりましたが、これは、養蚕県であることを示すシンボルを失ったことを意味しましょう。

 近代日本を支えてきた生糸。それをつくる蚕。その蚕をはぐくんだ桑。今は用無し、と簡単に捨て去っていいものでしょうか。現在残っている桑畑に強い関心をもって欲しいと感じます。

 中国の『詩経』の「桑中」という詩に、「我ト桑中ニテチギラン」という詩句や、密会を示す「桑中之喜」の語もあります。古代中国では、桑は恋愛・結婚のシンボルでした。

 さて、日本では「ドドメ色」。大人の恋言葉であることをご存じですか。

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