髙崎唱歌

散歩風景 21

吉永哲郎

 唱歌の22番は、「ここは水道水こし場 住吉町の西の方 新たに名づけし台町は 榛名参りの街道よ」です。渋川街道を北へ行きますと、長野堰に架かる「大橋」があります。長野堰は通称「大川」といいました。大橋の西に庚申塔・石宮・城峯神社があります。以前榎の大木があり、榎の大木にやどる木霊への信仰を集めていた場所であったことを、先の石造物によって思われます。この広場、江戸時代から近年まで、端午の節句には近隣町内の人々がお祭りしていたことが伝わっています。水道の「水こし場」とは、水道水の濾過するところのことで、1910年(明治43)に剣崎からの水道が出来る前、この広場に長野堰の貯水所があり、そこで沈砂した水を、そのまま高崎の水道水に用いていました。台町は、以前稲荷横町といっていた町で、1902年(明治35)にでき、1917年(大正6)高崎商業(現在の群馬県高崎府合同庁舎・高崎警察署)が開校されて、人の往来が多くなった町です。
「榛名参りの街道」とは、室田・草津街道のことで、現在の渋川街道相生町信号機を西へ市立第一中学校へ通じる道。室田までのバス路線に烏川をはさんで右岸の里見回り、左岸の本郷経由の二路線があります。里見回りは江戸期では中山道の裏街道として、草津・信州松代へ通じる通称信州脇往還といわれ、本郷経由路線は、高崎から室田間で、橋を渡るのは榛名白川を一度なので、城下への脇道としてかなり利用されていました。忘れられた当時の往還の様子を、ぶらっと歩いておしのびください。

(2019年1月稿)

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