髙崎唱歌

散歩風景 続30

吉永哲郎

 前回に続いて連雀町散歩を紹介します。
 1873年(明治6)に宮元町の誠之堂から県下初の和本型木版活字の「書抜新聞」が発行されると、その後「上毛之自由」「阪東日報」「日韓上野日日新聞」、上毛新聞の支社などが開設され、それぞれこの町で発行されました。

 特に阪東日報には田山花袋の紀行集「旅すがた」で文才をたたえられた山口寒水が記者として活躍していたことが注目されます。寒水は渋川出身で自然主義文学作家として将来が約束されていましたが、20歳で亡くなりました。1903年(明治36)読売新聞の新年短編小説募集で「氷採(こおりさり)人夫」が一等入選し、文芸誌「横野乃華」に先駆的農民文学作品「桑一枝」を発表、これは「良人の告白」(木下尚江)、「土」(長塚節)より7年前のことです。先進的文化活動を担う人たちの活躍する姿が連雀町には多く見られたのです。

 現金子園の隣は丸高ストアがありました。その二階に高崎ハム直営のレストランがあり、メニューにはお子様カレーならぬ「小盛カレー」があり、小腹を満たしてくれました。

 日英堂は古く日英同盟の時代からのお店で、東京銀座の木村屋パンの伝統を継いでいるアンパンは、市外の人たちにも知られ、また大政雑穀店には全国各地の豆類が展示され、少々気取る小豆や豆料理を作る時には、大政の豆を求めたと明治の女性は語ります。

 鮮魚の今坂屋(UFJ銀行跡)の客寄せの声は、今はありませんが、時に連雀町の昔を探しに、ブラっとします。

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