ぶらり成田町の散歩道(1)

(2021年11月29日)



重厚感のある建築

浅草湯

本町と、北小学校のある請地町に南北を挟まれた成田町。狭い路地を散策すると、創業100年の木造銭湯や、熱烈なファンがいるタイ料理店、高崎藩最後の藩主・大河内家の足跡が見つかりました。

 

「成田町」という名はご存知、成田山光徳寺の山号からとったものだ。明治35年(1902)に町として成立する前は、周辺一帯の土地を含めて、平安時代末からずっと赤坂村と呼ばれていた。あたり一面に田畑が広がっていたそうだが、明治9年(1876)に千葉県成田山新勝寺の不動尊の分影を安置し、成田山光徳寺ができた。寺の門前をはじめ、周辺地域は明治30年代になって急速に発展した。

 

第二次大戦後も成田山光徳寺の周囲には、生花店や精肉店、八百屋、蕎麦屋が立ち並び賑やかな様子だったという。また柳川町に隣り合っているため、小さな居酒屋の赤ちょうちんが夜道を照らしていたそうだ。

 

現在では古い住宅が目立つ成田町だが、じっくり歩いてみると色々な発見がある。

 

創業100年を迎える高崎最古の銭湯「浅草湯」

 

成田鮨とヨシノ理容室の間にある道を100mほど入った場所に、大正10年(1921)に創業した浅草湯がある。浅草湯は昭和4年(1929)に火災に見舞われ、再建する際に東京都内を回って研究したそうで、当時の下町銭湯の特長である豪華な社寺風の宮造りとなっている。関東大震災(大正12年・1923)で被災した人々が、銭湯を極楽浄土や別天地へ誘う特別な場所として考えたためで、ここには当時の建築様式が残っている。

 

のれんをくぐると、脱衣所の天井は格子造りで、2階ほどの高さまである吹き抜けだ。木製の下足箱や物入れ、太い籐で編まれた脱衣かごもあいまってレトロかつ開放感のある空間だ。

 

浴室に入ると天井は高く、男湯と女湯の間を仕切る壁には熱帯魚が悠々と泳ぐ大水槽が取り付けてある。

 

浴槽は「ぬるめ乃湯」と「熱め乃湯」がある。初めての方はまず“ぬるめ”から入ることを強くお勧めする。ちなみに取材日“熱め”は44度だった。

 

ほかの何にも邪魔されず、ただひたすらに体を洗い、お湯にゆったりと浸かるひととき…、娯楽が増え、できることが増えた現代では、なおさら贅沢だと感じられるはずだ。

 

開店は14時からだが、いつも13時30分には店を開けている。常連さんが開店前から並び、今か今かと開店を待ちわびているからだ。お客さんの9割は常連さんだ。近隣の社交場としての機能も持っており、お年寄りの気分転換や孤立の防止にも一役買っている。「コロナ禍で控えていたけど、やっと来ることができた」という声も聞こえてくる。

浅草湯でひと風呂浴びれば、身も心もサッパリすること間違いなし。ぜひ新しい常連さんになってほしい。

 

浅草湯

住所:成田町36-3 TEL.027-323-1745

 

高崎商工会議所「商工たかさき」9月号

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