私のブックレビュー9

『離陸』

志尾睦子

絲山 秋子著
文藝春秋

物語は広がり、思考は収斂するー純文学の極み

 唐突ですが、私は飛行機が好きです。この大きな機体が空を飛ぶんだと思うだけでワクワクしますが、なぜか離陸の時には寝てしまいます。気がつくとすでに機体は雲の上。何故なんだろうと思っていましたが、もしかしたら私の本能が、そうさせているのかもしれないとこの本を読んで思いました。

 冬の矢木沢ダムからこの物語は始まります。国交省に務める「ぼく」は、ダム管理の任務で矢木沢に赴任していました。ある冬、立ち入り禁止区域内で、「ぼく」はレスラー並みの体格をした黒人・イルベールに出会います。イルベールは「ぼく」・佐藤に会いにフランスから来たと言い、「女優を探して欲しい」と告げます。「女優」とは佐藤が昔付き合っていた女性・乃緒のことでした。イルベールは、乃緒がフランスに留学していた頃の友人だと言います。あまりに突然な、そして突飛な場所での依頼にたじろぐ佐藤でしたが、切ない思い出を掘り起こしながら、イルベールと情報を交換してゆきます。しばらくして佐藤は、矢木沢からパリへの転勤が決まり、フランスでの生活を始めることに。パリで乃緒の足跡を辿ることになるのですが、幾つかの手がかりは、想像を超えた次元へと彼らを連れて行くことになりました。なぜか彼女は1930年代の資料にマダム・アレゴリとして写真に収められていたのです。その資料は一見解読できない数字と数式で埋め尽くされてもいる。これは一体何を意味するのか…。

 一方で佐藤はパリで新しい恋をし、恋人リュシーとの愛を育んでもいきます。

 人探しで始まる感傷的なはずのドラマは、ミステリーに化したかと思うと、スパイ物にも、SF物にも体を変えめくるめく時間を費やしていきます。さまざまなテイストが物語をまといますが、どの局面を見ても、虚構の世界のお話には思えない実体感が伴います。実体感とはつまり、現実との距離感のような気がしますが、このさまざまな「距離」が物語に通底しています。さながら大きなテーマは「生と死との距離」。乃緒の足跡を辿る中、不可解な出来事や不条理に見舞われながら佐藤は年月を経て行き、やがて一つのイメージを明確にしていきます。それが「離陸」です。その視点は非常に興味深く、また腑に落ちるものがありました。佐藤が掴む「離陸」とはどういうことなのか。それは是非読んで頂きたいと思います。

 多角的な側面を見せながら一つのイメージを研ぎ澄まし言葉を紡ぎあげる。まさしく純文学の極みを堪能した一冊となりました。

志尾 睦子(しお むつこ)
群馬県立女子大学在学中にボランティアスタッフとして高崎映画祭の活動に参加。群馬県内初のミニシアター「シネマテークたかさき」の総支配人を務めると同時に、日本を代表する映画祭である高崎映画祭総合プロデューサーとして活躍。

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